夢のみとりz

見取り図を書いたり、看取ったり……黙って見とれ?はいはい。。。

ホミンのストイシズムと花柳界を結んでみる

 

ホミンのカムバック直後のパフォーマンスを見ていて、彼らの「エロスxストイシズム」は何かに似ているなと考えていた。今日、ふと思いついた。それは京都の舞妓、芸妓の世界に通じるものではないか。こういうとまた、妙な嫌韓発言と受け取ったりする向きもあるかと思けど、でも、そうではなくて。一流の芸妓、そしてその芸は日本が世界に見せるに足りる伝統文化でもあって、我々にとってなくしたくないものではないか?いまどき、若いお嬢さんの志願者も増えたというし、京都の一流の芸妓を売春婦と勘違いする人もいないと思う。(でも、その厳しさについていける人はほんのひとにぎりとも聞く。) 一流の芸妓がどんなに厳しい芸の修練を積むか、身なりの整え方から、立ち居振る舞い、言葉、作法、教養まで完璧になるまで長く見習いをすること、置屋の女将を「お母さん」、また年長者を「お姐さん」と呼び、家族のような形態で長い時間を共に過ごす事など、考えてみればSMEのアイドル生成機構と共通点は多く、芸妓達の芸とSM社のSMPはどちらも高度な様式美の世界だ。多分、多くの方が気づいていることだろうと思うが。自分にはやっとのことで明かりがともった感じだった。

  

もともとの東アジアの芸能産業が似たような芸能者の育成形態を取ってきていた(日本なら、猿楽、能、歌舞伎に至るまで)、というルーツからの文化的近似性ももちろん有りながら、SMEが比較的新しい会社組織であるにも関わらず、このような前近代的な手法を用いてアイドル育成を行なって来たということは非常に面白い。しかも、SM社の作り出すアイドルたちは非常に現代的で、様々な角度から特徴づけを施された、均一的ではないアイドル達である。しかもパフォーマンスの質は非常に高く、ライブでの力量が高いことで、興行中心の現在の音楽業界で人々を動員できるチケットパワーとなる。まさに韓流が今海外で興行を仕掛ける素地を作ったのがこのシステムであった訳だ。芸妓さん達の芸ももちろん「ライブ」=生なわけで、一度きりで消えてしまう、その場にいないと感じることのできないものがそこにあり、そこにオーディエンスは幻惑される。それから様式美というものは、不自由さの美ではある。きっちりと引かれた線、枠があるゆえに演者はストイシズムを要求され、その予定調和としての美が完成される。と同時に生身であるが故の完全と対極にあるエロスが表出する。観客は演出された世界観に安心して自分をあずけることができる、これは「純粋な快楽」である。

 

この前近代的なシステムにJYJが訴訟で風穴を空けたとき、ホミンは「伝統」の家に回帰した。そして、異常なまでに努力した。日本活動で仲間を失った反動だったのかもしれないし、韓国人としての、SMのアーティストとしてのアイデンティティを取り戻そうとしていたのかもしれない。その結果が、今回のカムバックに如実に現れていると思う。「Why」はSMPの様式美に更に劇場性がプラスされた、衝撃的なものだった。これは多くの日本ファンが「東方神起」に思い描いていたイメージとはかなり違った、激しい、韓国的なSMPだったと思う。その分、日本語歌詞がうまく乗らず、ラップ部分などに不満だというファンの声も聞かれたが。(その後日本活動では以前のようにJ-Pop歌手の横顔を見せてくれた2人にホッとしたファンも多かったのではないだろうか。)

 

彼らが雑誌「プレジデント」で発言した言葉からもそういった事が窺えると思う。ユノ氏は「とにかくひたすらに努力すること」を愛される条件として挙げ、チャンミン氏は「韓国人は現実の自分の姿と別に理想の自分を強く意識するところがある」と自らの韓国人アイデンティティと理想に向かう姿勢をクロスさせる。韓国人の努力の苛烈さ、誇り高さはよく知られてもいる。

 

東方神起のSMPは他のSMアーティスト達のSMPとは一線を画しているとは、よく聞く言葉だ。それは彼らが日本とJ-POPAvexを経験したこと、そしてSM社の企画サイドもアイドルに与えうる最高の芸術的なプロデュースを行なってきたことと無関係ではないと思う。これは現在の二人がSM社、SMPにおける最高峰というだけではない。5人時に既に完成を見た「東方神起」独特のSMPと彼ら自身が繰り出すモンスターカリスマのために「東方神起」の分裂が社会現象になるほどのインパクトであった事もカウントしておかなければならない。

  

ホミン自身そのことを非常によくわかっており、「東方神起」としての芸術的魅力を損なうことはできず、それでいて5人時代の曲はなかなか多くは披露できない。5人であったときはカラフルな5色の色を出すことで非常に効果的に演出が可能だったのが、今は二人の近似性と非近似性を同時に出していくことが鍵のため、演出を行う立場的にはぐっと難しいのではないだろうか?そしてそれがあのストイシズムとつながっているのか?

 

しかし、である。先日記事を上げた、SM国家ブランディング構想では、これからは個々のアーティストそのものより、SMというブランドを売る方針が明確に打ち出されている。参考にしていると言われるDisney社と同様、所属アーティストにSMの色を付けること(他社との差別化、その分内部ではひとつのグループのカリスマ性に注力するよりもグループ同士の関係性などを構築し、グループからの個人の脱退や分裂によるリスクを最小化する)、また商品(アーティスト)Authenticityを付けていくこと(偽物防止。例:Disney以外のミッキーマウスは偽物---つまり、「JYJ from 東方神起」はここで否定される)などの戦略が入ってくることが予想される。これが、既にモンスターブランドであり、全アジアが掌中にあった「東方神起」に対してどう作用するかは、私にとってとても気になる事だ。このような構想を現実化する際に、モンスター化した「東方神起」に対するファンの過熱を冷ましてやるということは重要かもしれない。それが、今回「東方神起」が年末の賞レースで無冠であった理由の一つ、というのは穿った見方すぎるだろうか?(現在チャート等も後輩に位置を譲っている模様である。)

 

そんな中、先日の台湾のファンミーティングでは、ユノ氏から「僕たちは東方神起を諦めません。これからも前進を続ける東方神起を応援してください」との挨拶が有ったそうだが、なぜ、このタイミングでこの発言なのか?自社の戦略をホミン達が知らないということは有り得ないと思うのだが、彼らの理解というのはどんなものなのか?上記のSMブランディング構想を念頭においての発言なのか?最近見えてきている、明らかなチャンミンプッシュはソロ活動への布石か、ユノ氏の入隊時期なども視野に入ってくる、JYJは「JYJ from東方神起」を何がなんでも守り抜くつもりか等、もうどうにもこうにも気になって仕様が無い。

 

 


PS: またしても重たい記事を書いてしまったので…ここでひとつ…息抜きを…

 

 

私はジェジュン氏のあの強情さをもしかして愛しているかもしれないと最近思いはじめてます…そしてチャンミン氏の激情も愛しているかも..あああ!!!

 

ふと気づけば、ジュンシムをルーク・スカイウォーカー(チャンミン)&ダース・ベイダー(ジェジュン)の構図で見ている自分。(母子じゃなくて父子になっちゃってますけどね、アメリカの父子関係とアジアの母子関係もまた、比較すると面白いのですが。。それはまた機会があれば) 東方神起事変自体、スターウォーズの様相を呈してきてるって?そうですね。そういえば、前記事に上げたけど、韓国が今ちょうど日本の8090年の様な文化的な過渡期とすれば、勧善懲悪から一歩離れた、善悪の無いバトルものとしてガンダムなんかも出てきた頃ですね。色々とシンクロしますね..

  

つか、これで余計に暗くなりましたか、皆さん??

 

 

まったくもってスイマセン。そういう方は、当記事前半部分よりホミンの美しい芸妓姿でも妄想して楽しんでくださいませ。(けっこう似合うと思うの。二人の島田髷...)