夢のみとりz

見取り図を書いたり、看取ったり……黙って見とれ?はいはい。。。

家族の肖像1 Mickyの夢

今更な話だけれど、東方神起の5人は初めから東方神起の5人として存在していたわけではない。

見い出し、出会わせたのはSMエンターテインメント。トレーニング、プロデュース、プロモート、マネジメントはSMエンターテインメントとエイベックスが韓国と日本で行なってきた。日本での成功に日本語の習得も含め、相当の時間を要したことを考えれば、エイベックスもSM社と同じほどの努力を払ったと言って過言ではないと思う。そして実務はもちろん、5人が行なった。5人がどんなに努力し、ハードなスケジュールをこなしていたかはファンの知るとおり。そしてそこに「家族神起」、5人の関係性を軸とした物語が生成されていった。美しく、完全な5人のファンタジー。

だが、考えてみたい。

5人はもともと一人ずつ、違った人間だということ。 3人でも、2人でもない。

ひとり。

彼ら個人や、家族、置かれた状況をよく見てみると、まるで現在の韓国の縮図をみるようでもあることに気づかされる。韓国は恐ろしい速度で進化している国であるからこそ、日本から見れば、過去の遺物のような現象と、日本も直面する現象、そして日本の先を行く事象が平気で混在する。そして彼ら5人はまぎれもなく、韓国の時代のいち断面でもあり、同時に日本や東アジアの世相をも映し出していると思うのだ。

パク・ユチョン氏。

私は彼の人生に最も共感を感じている。それは彼がその人生のかなりの部分を異文化のなかで暮らしていることに由来する。12才で米国ヴァージニアに渡った彼。と、いうと97、8年頃だろうか?韓国の通貨危機が原因で両親が米国に新天地を求め、移民として渡ったというのが理由のようだ。この通貨危機は膨大な数の韓国系移民を米国に送り込んでいる。日本で暮らしていると、その危機感に実感はないかもしれない。でも先般のリーマンショックや、大地震の経験を引けば、感覚くらいは掴めるだろうか。

米国は持てる者を「セレブリティ」と表し、持たざるものには非常につめたい。国民皆保険制度などない国。ユチョン氏の両親は二人とも働き続け、ユチョン氏が弟の面倒を見ていたようだ。12才と言えば、言語的にはすでに母語が固定して大人と同等の運用能力を備える時期ゆえ、新しい言語の習得は5才違いの弟と比べて段違いに難しかっただろう。彼がいまだに、英語で唄う時に見せる少し力んだ様子は、そんなところに由来する気がする。良い発音をしようと力んでいるような。。。私の個人的な見解だが。

数年後、彼の両親は離婚し、彼は「シングルマザー」になった母親と暮らし始めた。音楽に没頭する彼の最初の異文化体験は苦しいものだったようだ。それでも、米国で思春期を過ごしたことは、彼にとって音楽的にも、アイデンティティ、価値観の形成に大きく影響したのではないか。アメリカンドリーム。経済的な成功が、神からの祝福である、クリスチャン・ネイション。彼の家庭は多くの韓国家庭同様クリスチャン家庭でもある。しかし、経済的成功とはかけ離れていた。彼は宗教のにおいは感じさせないひとでもある。彼が米国で夢見たのはどんな夢だっただろう。彼は父母が果たせなかった「アメリカンドリーム」を叶えようとしてはいなかったか?

アメリカに、「Old Money」と言う言い方があるのをご存知だろうか。先祖代々の資産家で、本人が働こうが働くまいが生活に全く支障をきたさないレベル、孫子の代まで資産を食いつぶすなどということがない階級をちょっと揶揄していう言葉である。日本語の「成り上がり」の対義語にあたる。日本語には「Old Money」を的確に表すような言葉が無く、英語には「成り上がり」のように低いクラスから一代で財産を築く事を貶める表現はない。米国では、誰でもが無一文からお金をつかむ事が特に蔑むべきことではなく、日本では「Old Money」の存在を認知する言葉すら存在しない。格差が広がり続けてはいても、分厚い中流層が存在するからだ。

一方韓国はかの通貨危機から以降、急激な格差社会の進行と中流層の希薄化に悩んでいると聞く。

ユチョン氏はやがて韓国でのオーディションに合格し、ジュンス氏の父が身元引き受け人となり韓国での練習生時代を経てデビュー、アイドルとしての栄光をつかんだと思った次の瞬間には彼にとって二度目の異文化体験が待っていた。日本でのJ-POP歌手としての下積み。ただ、目を見張るのは彼が日本語を英語よりもずっとうまく習得したことである。言語的なちかさが幸いしたのか、ずっと若い頃に習得した英語よりも流暢に聞こえる。とても自然だと、ファンも褒めるところだ。彼の低くて甘い声のトーンで歌われる日本語の歌も本当に魅力的で、ジェジュン氏と彼には日本的なアイデンティティまで出来上がっていたような気が動画を見るたびにするのは私だけではないと思う。

しかし、東方神起の成功が加速するにつれ、スケジュールはどんどん過酷になっていき、彼の見せる疲れの色は濃くなっていった。ファンの間からも喘息持ちの彼の体調を非常に心配する声が出ていたようだ。


実は、私は彼が実際は3回の異文化体験をしたのではないかと思っている。幼い頃に離れた韓国である。母国の文化であっても大人として見るそれは、全く違ったものだったはずだからだ。儒教文化、上下関係、集団主義、前近代的な会社のアイドル育成システム。合理主義と個人主義の国で思春期を過ごした彼にとっ
て、母国とはいえ、その価値観の違いはかなりのカルチャーショックであったろうことは想像に難くない。私など、日本にたまに帰国するだけでも、毎回ちょっとしたギャップは感じる。東方神起として成功していくにつれ、自分が米国で思い描いていた夢と現実の違いは認識されなかっただろうか?与えられた音楽を、舞台を、演じることのみを期待され、創造性は求められない。会社から、与えられたキャラクターがグループのなかでの「個性」とされ、ファンに認識されていく。可愛いくてセクシーで英語もできるミッキ・ユチョン、それだけ。彼はそれで諦めればよかったか?ファンに愛され、SM社を背負って立つ東方神起の一員として。もし、彼の体に限界が訪れたら、どうなっていたか?母親は?弟は?

成功し、栄光の頂点かにも見えたタイミングで彼がSM社からの離脱を望んだとき、それはそこに有った韓国的な価値観、合理性を欠いた会社のシステムに対する反抗、家族のため、自分のために描いた「アメリカンドリーム」が果たされなかった事への呪詛を痛烈に含んでいた気がするのは私だけなのだろうか。

彼は5人の東方神起を「家族で囲む食卓」と表現した。彼にとってやっと手に入れた「家族」が5人の東方神起だったのかもしれない。なぜなら彼の実際の家族は離婚家庭、ひとり親家庭、機能不全家族であったはずだ。それが韓国の価値観でどのようにみなされるのかは想像に難くない。SM社が裁判の際に出した「複雑な家庭環境」カードによって、「育ちの悪い3人」というネガティブなイメージは実際それが彼らの責任ではないにもかかわらず拡散した。

このような家庭で育つ子供の家族に対する諦めを私は米国に住んで痛いほど知っている。彼はそれでもなおかつ5人の東方神起を「家族」と表現しているのだ。彼が、分裂2ヶ月ほどまえのズームインで見せた、「10年後」発言にはもしかすると、またしても「家族」を失うかもしれないと悟ってしまった彼の悲しい諦観が現れているような気がしてならない。

追記:ユチョン氏に宗教の気配がない、ということについて言及しておきたい点がありました。彼がジェジュン氏と共に入れているタトゥですが、「Always Keep the Faith」という言葉。5人時代を表す言葉として、今は二人の東方神起ファンには忌み嫌われている気配もあります。誓約、約束という意味合いが一般的ですが、Faithという言葉は実はわりと宗教にも近い言葉です。クリスチャンの信心、信仰などもFaithと表現されます。無宗教のジェジュン氏とあまり熱心でないクリスチャンのユチョン氏のふたりが揃ってこの言葉を身に刻んだ意味を考えさせられます。

ここではユチョン氏についてのみ語っておきたいと思うのですが、意識的にせよ、無意識にせよ彼はもう「神は持てるものだけを見ている」と悟ってしまった人間ではあると思います。その彼がFaithをなぜ言うのか。向かう先はどこなのか?彼が手に入れたいものは何だったか?みなさまはどう思われますか?

せっかくなのでユチョン氏の甘い歌声集もお借りしてきました。

*上記はあくまで私個人の観察、考えに過ぎません。その点のご了承をお願い致します。