夢のみとりz

見取り図を書いたり、看取ったり……黙って見とれ?はいはい。。。

緑でいるべし


「生きていればこんな事だってあるんだわ

ね、やわらかみどりの秋の草

あんたたちだって異変がおきて花が咲くまでもつことも

あるかしれない

あきらめざること

霜がおりるまで 緑でいるべし

ね」



大島弓子作品より
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凍りついて死に絶える事も一つ。
死の中からまた生まれることもあり、
死なないで花が咲くまで持つこともあるかもしれない。

私がよく思うのはこの、「かもしれない」という事です。
オルタナティブを認める。
疑ってみる。

つまり、何故か知りませんけれど(www
世の中は「男」と「女」で出来てたりしますし。
善悪、高低、寒暖、色々な二元論で溢れていますよね。

だけど、そのどれもが、相手方がいないと成り立たない。
またそれらは位置が変わる場合もある。

しかも二元論じゃどうにもならないほど雑多なものがいっぱいのこの世界です。

で、こちらで差別主義の方がよく使われるのが、「区別」なんですね。
これは区別であって差別じゃないと。
しかし実際に蓋をあけてみると差別している。
「区別」を利用して「排除」しようとしているからです。

そして「区別」にすり込まれる「価値観」。
厳密に言って何も差別しない人、まったく偏見のない人間などいません。



というか、だからこそ、自分の発言がヘイトスピーチに該当しないかどうかは考えたい。

これはその内容だけでなく、いかなる場所で、いかなる立場で発言するかということを含みます。

何かについて発言したい時、自らの偏向を認めるだけでは足らないと思っています。論拠とするところの偏向性も考慮した上で、感情論になっていないかどうかも確認したい。流れを確認し、突出しているところがあれば、何故?と考える。情報が突出する部分には必ずその理由があるだろうからです。恣意のない情報もないわけですが、その突出部分にある恣意、あるいは全体としての流れで見た場合の恣意性を考えてみることも出来ます。

女にとって「感情」は大事な大事な宝物だと知っています。
私たちの大切なコミュニケーションツールだと。

で、あるからこそ、それを誰かに捻じ曲げられることは好みません。
東方神起現象では、「女の感情」があふれかえっているのですが、それは有る意味でかなり、反射を利用されている気がしています。印象や感情を情報によって左右されることが多く、たくさんのブログで表現や言葉を共有していくうちにその感情は肥大化して固定してしまいます。

だからこそ考えます。

その、「正義」は危なくないのかどうか?

小田嶋隆さんではありませんが、首を傾げてみることも重要かと。

先日とあるオルペンさんのサイトで5人のはじけるような笑顔に会いました。
心から笑っているように思えました。彼らの笑顔が私に苦しみを運んでくることは無い、と感じました。
そして、いつも、いつも力になってくれます。

5月です。
緑の季節ですよ。もう大大好きな季節、楽しみたいと思っております。

みなさんも楽しんで〜!!
ジュンスレポ、オーラスレポにも訪問予定ww
ちょっと忙しかったので遅くなったんですけれど、許してくださいね!

私がどうしてこんなに、乙女になっているかって?
知りませんYO。(大島弓子センセのせいにしとこっと!!女子枠拡大計画推進ちうw)