夢のみとりz

見取り図を書いたり、看取ったり……黙って見とれ?はいはい。。。

現象としての東方神起−『名前』?

JYJの名前にについて考えてみたいと思います。

実のところ、確かに「JYJ」いう名前にも「東方神起」にも商標権が設定されていますし、これらは立派なブランド名でも有ります。そこに商行為が発生する限りは、他者の使用を認めないもの。彼らの所属会社に使用権が属します。JYJの3人は商標権設定時に定められた商品や、営利を伴う活動について、東方神起の名称を使うことはできない。反対ももちろん然りなのでブランドとしては、「JYJ」と「東方神起」の間にあるのは対等な関係です。

しかし、その名前自体の持つ性質は全く違うものだと認識しています。

ここでもう一度「東方神起」の名前に立ち返って見れば、そこに込められた“アジアの神”の意味合いというものが、よく見えるのでは無いでしょうか。企画として、アジアの覇者になるという意味合いももちろん強大ですが、私は英語圏から5人を見始めましたので、YouTubeに乱れ飛んでいた「Five gods」(5人の神々)という言葉に強い印象をもっていますね。Five Asian gods、 Sex godsという表現も有ります。5人には世界中にファンがいますし、ファンにとって彼らこそが「アジアに起こった神々」なんだと私は思って居ます。動画サイトに踊るTVXQの文字、赤い海。ファンダムの分裂と苛烈な争いさえも、神がかっている。「東方神起」という名前はもはやカルトと化した「現象」に私には見えています。

一方、JYJはグループの名前としては東方神起のような明確なコンセプトを持ちません。例えばBIGBANGが、例えばSHINeeが、その他のグループが必ず名前とともにその意味として持っているであろう「グループとしてのコンセプト」、それは無い。しいて言えば、巨大芸能社の専横と戦う戦士のアイコン?それにしても、それは結果としてJYJの上に張り付いたイメージであって、目的を表してはいない。JYJはメンバーの構成員のイニシャルを取っただけのとてもシンプルな名前で、三人の実体は表すけれど、少なくとも、例えば東の神が起こると言った「意味」を見せる語は何も当てはめられていない。

個人のイニシャル。それ以上何も意味せず透明にファンの前に横たわる名前、、、
ですが、その文字は赤く、それを支持するファンダムは何故、まだ彼女達自身をカシオペアと呼ぶのか?何故彼女たちのペンライトは赤い?どうしてここにも赤い海が出来る。。。


本当になぜでしょうか?

その事を考えるとき、JYJという名前が存在する理由は一つしか有り得ない、と思うのです。

それを端的に表現するのが「JYJ from 東方神起」であると。

先日のファンミーティングでジュンス氏が「元東方神起」と呼ばれる事が嫌であると発言した事は皆さんの記憶に新しいところかと思います。また、東方神起としての過去曲をほんの少しだけ歌った事、全て歌えるように頑張りますと告げたこと。

「3人は名前のない東方神起である。」

そう以前に書きました。今でも私の考えは変わっていません。
しかし、日韓関係の緊張といい、彼らを取り巻く状況は少し変わったのではないかと思っても居ます。

5人の東方神起。2人の東方神起。JYJ。これらは皆別物だという議論が有ります。確かに音楽的にも、企画からしても違っているでしょう。私も違っていて当然であると考えて居ます。違っていて、いい。

ひとつ前の記事に書いたことがまさにそうですが。似てるものに惹かれたつもりが、違うことを愛したりするものです。例えば、Silversun pickupsとSmashing Pumpkins。代わりなどではなく、違っていながら、どちらも今は私の中に好きなバンドとして存在します。重ねて言えば、Smashing Pumpkinsは、今はもう無い、、、しかし彼らの音楽は消えないんです。彼らの音楽を聴くときは、昔を振り返るのではなくて、現役であるSilversun Pickupsと同じように楽しめる事に気づきました。その意味で、二人、三人、五人は私にとっては同時に存在するもの、という事も意識が、本当にクリアになりました。

このことは化石だなどと自虐の境地に陥る、五人ファンの皆様に言っておかなければならないかな、と思いました。彼らは2006年のYouTube、Google、フォトショップ普及以降のアーティストです。過去に過去という意味を、現実に現実という意味をそれほど持たせられなくなった、、、そんなメディアの時代の申し子です。古くなるどころか、次々に新しいファンを惹きつけ、次々に新しい解釈が生じる。この奇跡じみた反応だけでも、「現象」としての彼らは私の心を揺すぶるんですよね。。。。。まあ、面白いじゃないですか?リアルに、「リアルのゆくえ」を見ている気持ちになります。(東浩紀さんの著書、読んでる方にはわかるかな?私的には「五人」の面白さは現実を軽く超えてると思いますが。)

ですが、まあ現実的に今からの二人と三人について考えたとき、今この時点で行く道が別々の道であるなら、双方がしなければいけないことはいくつかあるのでは無いかとは思いました。それがどんな反響になるのかは、全くさておき、ですが。。。

でも、それらは、是非とも彼らに決めてもらいたい事だなと思って居ます。

東方神起は確かに彼らだけのものではなく、スタッフ、企画社、ファン、関わる人たちすべてのもの、であることでしょう。ですが、彼ら5人が東方神起であるという事、これは二人、三人、5人を思うファンの胸からも、もちろんですが、彼ら自身の意識からも消すことのできないものなのではないか?そして、同じ名前が同じものを意味しない。そのようなとき、「名前」はどんな意味を持つのでしょうか?


マジ、色気もそっけもないブログですんません。。。反省しております。