夢のみとりz

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踊る資本主義〜韓流のツナミ〜


韓流のツナミ:制止不能な(そして怖るべき) K-POPファンダムの勃興

数ヶ月前、僕はロサンゼルスに居て、メジャー誌のためにK-POPの公演を取材していた。その雑誌社は結局K-popが彼らの読者には「ニッチすぎる」と判断して記事をおシャカにしたのだが、僕には何だかその判断が、確かに的確なようでいてまた同時に深慮がないとも感じられた。確かにK-popは米国ではまだまだアンダーグラウンドのムーヴメントであって、オタクな音楽ジャーナリストやら、アジア系米国人、レディ・ガガの大げさなアートポップに疲れてはいるけれど似たような見世物を欲しがっているゲイ、などの守備範囲 にある。だが、K-popはそれなりに意味のある方法で、継続的にメインストリームに参入しようとする境界線上にいる。ワンダーガールズはジョナス・ブラザースとツアーをしたし、少女時代は数ヶ月前に「レターマンショー」に出演した。 そして2NE1はヒップホップの呪術的モンスターと呼ばれるウィル・アイ・アムが彼女たちを国際的なセンセーションにしてみせる、と約束した上でそのマネジメント会社と契約を交わした。一番直近ではPSYの「カンナム・スタイル」の動画が一夜にして彼を感染現象におし上げた。彼の先週木曜日のヴィデオミュージックアワードへの出演はK-popというものが、これまでで最大に露出される機会を与えたのだが、しかし、これはK-popの音楽的価値が認められたというよりは、目新しいという事が大きい。

僕が参加した歌謡祭SM Town 2012は、韓国の強豪レーベルであるSMエンターテインメント契約の歌手たち数グループを集めたものだった。SMのトップガールグループ、少女時代は僕のお気に入りだが、その日現れたファン達が目当てにしていたのはスーパージュニア、シャイニー、そしてEXOなどボーイバンドの方だ。コンサートの空気はクレイジーだった。アジア全域のアリーナ席を完売させ、バラエティ番組、海外の雑誌等に神出鬼没に現れる彼らグループは、合衆国ではほんのたまにしかツアーを行わない。彼らのパフォーマンスに対する麻薬のような期待感は熱をもって群衆のうえに厚く垂れこめていた。
公演の前の記者会見では、グループごとに代表者が(演目は大半がガールグループあるいはボーイバンドによるパフォーマンスで、中には最大12名ものメンバーを擁するグループもある)、あらかじめ選択された記者からの質問に答え、それが黒子の韓国語通訳者によって通訳された。ステージ上で、たくさんの照明を浴び、盛装した彼らはまるで漫画から抜け出したように背が高く豪華だった。僕は、一人の彫刻めいた顎の線を持った歌手に特別に心を奪われるのを感じた。そのセクシャルなエネルギーがステージから放散するボーカルデュオ、TVXQの片割れだった。

僕は冗談でツイにあげた。「 TVXQのこの男は何者だ?なんで彼は目線で俺の服を脱がせようとする?」次の瞬間、K-pop列車に飛び乗ったほんのひと握りのアメリカ人音楽ジャーナリストのひとりとして、僕をフォローしてくれている数十名の K-popファンからの回答で僕のタイムラインは溢れかえった。ファンたちは彼を「ユンホ」だと言った。僕は急いで続けた。「彼の名前はユンホって言うらしい。今夜コンサートの後、僕と彼どこかにしけこむからさ。じゃね!」すると、これらのツイートは連射砲のようにリツイートされて行き、僕の携帯は多数の新規フォローを告げるバイブ音 を鳴らし始めたので、お知らせをオフにしなければならなくなった。翌朝、自分のツイートの感染性の成功、膨れ上がったフォロワー数、そしてこれが信じられない位楽しそうに見えたという純然たる事実に勇気づけれられ、僕は書いた。「もし、昨夜僕のハートを盗んだK-popアーティスト、ユンホと僕のエロティックなファンフィクションの一節をツイートし始めたら、気に障る?」そして、試しに一つ出してみた。「彼の頬骨は高貴だ、いや、帝王みたいでさえある。だけど僕の胸に手を押し付けたユンホの眼差しは暖かかった。『君は僕のものだ。』と、彼は言った。」そしてもう一つ続けた。「そのぜい肉のない整然としたシルエットを月明かりの中に浮かび上がらせ、ユンホは波濤を切なく見据える。『サム』彼は囁いた。『僕らの愛は特別だよ。』」そして脈絡も明らかにした。「これらは僕がこれから出すつもりのフィクション作品、『フィフティ・シェイズ・オブ・ユンホ(ユンホの50の色合い))の中からの抜粋です。』*訳者註:[『Fifty Shades of Grey』はベストセラーフィクション作品。ティーン向けヴァンパイア小説の設定をベースに、ファンフィクションともとれる内容でありながら、セクシュアルな描写、特にソフトSMを中心にしており、別名“マミーポルノ”(ママむけポルノ)とも呼ばれています。タイトルはこれをもじったもの。]

僕の新しいフォロワーのうち数名がもうひとりのK-popスター、JYJというボーイバンドのキム・ジェジュンの名前を示した。ユンホとジェジュンがゲイの恋人同士であるとそのファン達が信じていることは容易に察しがついた。もう、釣りでハイになった気分だった。バカ丸出しで僕は彼に向かってツイってしまう。「@mjjejeヘイ、知ってる?お前の男をモノにしちゃおうと思ってる。キツイ手綱がついてたらいいけどね。」一夜にして僕のフォロワー数はロケットみたいに急上昇した。数十名のアジア人K-popファンがフレンドリクエストを送ってきた。GIFやミームが僕のツイッターの写真を利用して作られた。Tumblrの利用者の誰かがそのツイートの連鎖をスクリーンショットに撮っており、それは現在までで1178件を数える。1ヶ月後、僕は日本のタブロイド誌のスキャンを送りつけられる。誌名はユチョンニュース(*訳者註:正しくは「おるちゃんNEWS」誌ですね。)そこには、ユンホへの愛でファンを捉えた謎のアメリカ人ジャーナリス卜(僕はシルエットでS氏とのみ記されている)の記事が掲載されていた。

一番身震いするのは、けれど、ユンホとジェジュンの間の想像上のロマンスに対して僕を現実の驚異とみなしたのか、あるいは単に不快なので黙るべきと思ったのかは知らないけれど 、熱狂的ファンたちからの殺すという脅しが豪雨のように降り注ぎ、この中毒になる程楽しいオンラインのゲームを休止せざるを得なかったことだ。「あんたがどんな風に死ぬか見せてあげましょうか」と、そのうちのひとりは始めた。「@mjjejeには100人あまりのストーカーしかいないんだけど。あの官能的な唇が一言命令すれば、、、あんたの喉が掻き切れるんだからね!」他にもたくさんあったが、これには引っかかってしまった。これが非常に多くの回数リツイートされてしまったから、というのが一番大きい理由なのだけれども。

韓国のポップ音楽は本質的に超現実的で蠱惑的な音楽の形態であるので、それを取り囲む文化も超現実的で蠱惑的であるのは納得がいく。K-popの歌、少なくとも僕の好きな少女時代、2NE1、スーパージュニアなどによる曲は、往々にして、未来のポップ実験室で何十曲と生産されたかのようなキラキラした小さなフックとリフ、ブリッコシンセから筋肉ニューメタルまでを首が折れんばかりにツギハギして構成された、ヒットチューンのフランケンシュタインのように聞こえるが、それでありながらも、言語の壁を超えるかっちりとしたメロディー感覚で磨かれている。(それなので、韓国語がわからなくてもついて歌うことができ、自分のような「韓国語がなんであろうと外国語ってことでは結局同じ」なタイプの人間には役に立つ。)

音的にもそうであるように、それはヴィジュアル的にもそうであって、動画というのが、その魔術の現れるところでもある。アメリカンポップスターがそうであるように、K-popの「アイドルたち」(そうに認知されている)も、一様にすらりとして美しく、カリスマに溢れている、と同時に彼らには顎が外れそうな振り付けと、目眩のしそうな生産価値がついてくるのだ。K-popアイドルは、アメリカンポップスターたちと違い、ファンの執着のレベルを支配する。それは、ビリーバーズ(ジャスティンビーバーファンダム)、ダイレクショナーズ(ワンダイレクションファンダム)達を簡単にしのいでしまう。彼女たちの叫ぶ賛辞のコーラスは音楽と同程度にアルバムキャンペーンの一部になってしまっている。いや、怖るべきはK-popファンだ。

「K-popは麻薬のようなもの」と、ある韓国レコードレーベルの重役は僕に教えてくれた。(彼はその名を明かさないことを僕に要求した。) 「ファンたちはー中毒患者だ。それはカルトのようなもの、あるいは、もっともっと欲しくなる麻薬のようなものだね。」

ポップスターへのカルト的な傾倒といったものは、何も地域や文化によって存在が限定されるわけではない。「スタン」とは「ストーカー」と、「ファン」の二つの性質を備え持つ熱狂的なファンを示す素晴らしい造語であり、この語はその名称の由来にもなっている、エミネムへのアンチヒーローとしての執着から自殺を遂げるファンを彼が描いた2002年のシングル曲(「スタン」)へのオマージュでもある。(スタン文化は昨年、ニューヨークタイムスの「トレンドピース」にも収められた。)スタンは誇張的であることと、過激主義の傾向を持つ。ブリトニー・スピアーズ(ありげなニックネームで言うとゴッド二―)のチャートでの成功は、スタンの言うところによればファンの見当違いな愛情も、彼女が全て反映してくれている事を意味しているのであるが、ケリ・ヒルソンの 前作アルバムの期待以下の成績の意味するところは、彼女がディケーター(*地名)のWalmartで残りの人生をモップがけして過ごさねばならないほど運が尽きている意味になる。しかし、アメリカのメインストリームのアーティストのファンの間では、スタン文化は本来TumblrやTwitterのフォーラムの一項目程度に限定的なものであり、そして、時々極端な例が出現する。たとえば、ツアーバスに隠れたダイレクショナーズやら、ディズニーのトリプルスレット(歌って、踊って、演技できるディズニーアイドル)の自宅に現れる中年男達、などである。

まあ、それは予想が付きそうなことでもあり、そして往々にして嘆かわしい、セレブへの執着に駆り立てられた文化の病状 なのだが、アメリカンポップの世界におけるマーク・デイヴィッド・チャップマン達(*ジョン・レノンの殺害犯)はあくまで「異常者」として出現する傾向にある。ところが、K-popにおいては、スタンの行動は、現実世界の中に頻繁に、そして危険を感じさせる重大性を伴って持ち込まれる。 僕の予想では、僕の愛の対象であるユンホの周囲で起こった事件で最も狂気を感じさせるのは、彼が数年前にバラエティ番組を収録中のステージ裏に、ライバルグループのファンが忍び込み、彼に毒を盛った事件ではないだろうか?(ユンホは入院し、犯人は捕まった。)

これはもしかすると、サセンファンの時代を予言するものかもしれない。サセンというのは最近できた新造語で、韓国語のスタンに当たる言葉。「サ」は「私」(プライベート)を、「セン」は「生」(ライフ)を意味し、それはファンのお気に入りアーティストに対する最大範囲の執着と関連付けられる。

最近のとある韓国のサセンファンについての報道は、ユンホの毒入り飲料事件は、それだけが独立した事件とは到底考えられないと示唆していた。それは、ナンシー・グレースのスペシャルリポートみたいに胡散臭くヒステリックではあった。(表現がぎこちなければ英語字幕も使えます: 「現在韓国はアイドル黄金期にあります、そしてファンが彼らを更に輝かせるのです!」訳者註:原文ではここに韓国報道番組の動画が挿入されており、その動画にそのような英語訳が入っています。) 番組には少女たちがK-popスター達を乗せた車を追いかけ、雨に濡れたソウルの路上を全力疾走する場面と、一人のボーイバンドメンバーが狂ったサセンファンを叩いている(*註:元記事掲載の動画では「叩かれている」のは男性アイドルの方。)不明瞭なクリップが収められていた。(彼はその経験を「計り知れない恐怖」と呼んだ。) 身分を隠してインタビューを受けた、首から下だけを映し出されたひとりの少女は、サセンファンはK-popアーティストをつけ回すために学校を休み、こっそりとCCTVを彼らの自宅に設置したり、彼らの携帯電話をハックしたり、彼らの下着を盗み出したり、出入り口に使用済みのタンポンを置いたりするのだと語った。(おえっ) その報道によると、ファンはK-popアイドルを追いかけるために特別なタクシーを雇うのだという。一日中タクシーで彼らを追跡するための極端に高い費用を、彼女たちの中には売春に頼るものもいると言う。(ここまで来て、半分信用をなくしかけていたこの報道ソースを僕は見限った。が、しかしそれにしてもスリルに満ちてけばけばしい概念では有ったのだ。韓国のティーンエイジャーがセレブをストーキングするために体を売るって?ビリーバーズにそれができるか?無理だろ?)

アイドルという言葉は世界中どこでも、セレブの神格化に対する傾向と相互関係にあるけれど、合衆国ではライアン・シークレスト(*「アメリカンアイドル」司会者。)以外にポップスターを表現するのにこの言葉を使う人物を見つけることは稀であろう。アメリカのファンが偶像崇拝を、自分自身を気遣うほど懸命に行うかどうかは疑問だ。西側世界のセレブに対するストーキング、ハッキング、家宅侵入の案件を考えてみればいい。アレクシス・ネイアーのハリウッド・ブリング・リング事件は、彼女のマーク・ジェイコブスブデザインのアクセサリーへの 飽くことなき乾きから始まったのだし、ストーキングはパパラッチの領分で、ブルーアイビー(*ビヨンセの赤ちゃんの名前)の写真のタブロイド紙への市場価格の高騰によって拍車がかかっているし、ハッキングはルパート・マードックとニュースオブ・ザ・ワールド が必要以上に新聞を売ろうとする努力とほぼ同義(*同社による盗聴スキャンダル事件に絡んで)である。これらの目的とするところはどれもまったく自己中心的なもので、俗っぽく商業的であるか、物質主義的である。サセンファンにとってはK-popスターを神様扱いする行為は、間接的機能として働いているわけではない。無法な執着は終末に向かっているのではない。それ自体が終末なのだ。

こういった類の献身はA&R(レコードレーベルの、発掘、育成、制作担当)の夢じゃないか?こんな種類のファンのサポートを作り出す事は良いことに違いない。だからK-popファンダムを暴走列車とみなす事はたやすい。僕が話を聞いたレコード会社の重役は、ファンの没入は自然発生的であると強調した、しかし手綱を取る事は非常に難しいのだと。
「我社にはそんな謀略等はない。」彼は語った。「それは勝手に起こるんだ。そういうファンたちは自分たちで勝手にグループを作り、メンバーを見つける。インターネットというテクノロジーがあれば誰だって簡単に出来る。 思うよりアクセスが簡単だし、これはカルトだ。。。そしてとてもコントロールが難しい。 」もしかすると、K-popファンダムのその集団暴動の暴走列車は東と西の文化の原理的な差異の証左なのかもしれない。といっても、それを集団主義Vs.資本主義のように単純な二極化で収束出来るかどうかは疑わしいのだが。音楽業界はそれでも結局はビジネスだ。だが、僕が少女時代の二人(彼女達は自信に満ち、かつ控えめな「英語」で話した。)にSMTownのパフォーマンス前にインタビューした時、僕の質問に答える時にふたりがともに、一人称にwe(私達)を使おうとするのにはやはり重要な意味があるように見えた。「私たちは韓国を代表してここに来ていることを誇りに思います。」等など。

原因の如何を問わず、サセンファンの集団ヒステリー(または、計算された発狂?誰もしらないが)は、韓流の波が津波に膨れ上がっていることを示している。皮肉にも、時間とお金を注ぎ込み、K-popのガールグループを北米に売り込もうと試みたその挙句の果てに、PSYが現在波の頂上にいる。彼のウイルス性の成功が息が長いものになると考えていいかどうかという事は不明であるものの、ジャスティン・ビーバーのマネージャーであるスクーター・ブラウンとの世界に知れ渡った契約は、韓国のスーパースターが欲するに相応しい支持票とは見える。 S氏はどうしてるかって?僕は、なるべくユンホについてこれ以上に扇情的なツイートをしないように努力しているところ。津波で溺れないようにするためにね。

筆者:サム・ランスキー
ニューヨーク市出身。2011年、ニュースクール大卒。ポートランド州立大、ニュースクール大にてクリエイティブ・ライティングを学ぶ。記者、編集者。ニューヨークマガジン誌、ジ・アトランティック、ハフィントン・ポスト誌等にエンタメ、文化記事等執筆。専門分野はデジタルメディア、エンタメ、文化批評、ソーシャル・メディア等。

出典:Grantland.com – Hollywood Prospectus 2012年9月10日付「Hallyu Tsunami: The Unstoppable (and Terrifying) Rise of K-Pop Fandom」全文。
元記事URL:http://www.grantland.com/blog/hollywood-prospectus/post/_/id/57109/k-pop

取得年月日:2012年9月18日

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