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夢のみとりz

見取り図を書いたり、看取ったり……黙って見とれ?はいはい。。。

2013年5月某所にて書いた記事。

昨日、JYJのLINEに上がった、音声メッセージ。 ジェジュンさんの挨拶のなかに、4、5、6の数字。 二人のドーム公演のゲートは、右に傾斜した時計のデザイン。地中に埋まったかの如く、見えない文字盤の数字は、4、5、6であった。 私は彼がどんな気持ちでそれをしているのかはわからない。 ただ、やはり、もしかしたら彼は「東方神起」を盗もうとしたのではないかという感覚に襲われた。

東方の神が起きる、、、この名称から見える「太陽」。 楽曲の「ライジング・サン」を引き合いに出すまでもない。 日いずるアジア。。彼らに託された思いを象徴するコンセプト。 その「太陽」を、彼はSM社という会社から、スマン会長から盗もうとしていたのではないか?そして、それは「彼ら自身」を盗み出して、自分たちの手に自分たちを掴むことでも有ったのではと思う。 だが、今やその野望は潰えたかに見えている。 JYJのコンサート後、彼らに会えて幸せなファンを横目に、JYJとしての提示力の弱さを嘆く声も大きかった。プロデュース力の圧倒的な欠如と見える事も確か。入れ物として、ブランドとしての演出は、残念ながらベク氏はSM社やエイベックスと肩を並べるほどにはうまく出来ていないように言われている。(追記:しかし、これは日本あるいはアジアの芸能ビジネスの構造上の問題ではないか?と最近は考える。これを書いてから随分と日が経って、彼らはそれなりに努力もしている。だが、グループとしての彼らはすでに、2012年11月、裁判終結と同時に和解と言う名の「周縁化」を施されていたのではないか?今般JYJ法が議会提出された事も其れを裏付ける様に思われる。)

 

三人は5人の東方神起の亡霊か、ゾンビか。。。個々人の活躍は目覚しいものがあるのだが、いったい、彼らJYJは皆のいうように、東方神起と肩を並べる、対等な位置関係を持った「ブランド」であるのか?韓国の行政が介入した裁判の決着のしかたから言っても、ふたつのグループは、別のブランド、別のグループ。。。これは仕方のない形ではあるのかもしれない。そして、この形は、分裂、対立したふたつのファンダムが、双方とも主張し、この3年固定化が図られて来た。 ただ実のところ、成り立ちから言っても彼らは並列する「ブランド」などではないと私はどうしても思ってしまう。JYJとしてのグループコンセプトは無いに等しく、単に個人のイニシャルを使ったユニットの名称。 これを二つの別個のブランド、とする事は商慣習的には正しいのかもしれないが、暗く照明の落ちてしまったその根元をみると、ねじれたまま固定している、というふうに私には感じられるのだ。 そして、私から見たら「ねじれ」と思える言論の固定に対して「電通でも覆せない」と、太鼓判を押したのが、かの澁谷知美先生のウェブ論座掲載の文章であった。二人のオンリペンの方に立場をとって書かれた文であるから、止むを得ないし、特に私としても再結成をどうたらという気も無い。商機がなければ難しい事であろう。しかしながら、ファンが「正しい・正しくない」という言論を表現芸術の領域に持ち込んで抗争しているところにおいて、アーティストの活動の可能性まで限定しうる「理由」を持ち出したのは、その「理由」がどんなものであってもフェアではないと私は感じざるを得なかった。 (皮肉にも、そのJYJに電通が付きコンサート開催、そして無視できないボリュームをもって未だに「5人」を掲げるファンがゾンビのように存在しているのはなぜだろう?「正しくないファン」が、こんなにも。。。。)

 

大きな声で言わずとも、JYJはJYJという名称でいる限り背後にfrom東方神起を必ず背負う。そう思って見ている。ジェジュンさんがTVfXQを背負っているのと同じ事。同意も、異見もあるだろう。単なる私見である。 

(追記:2015年現在、JYJに対してのファンからの「箱」としての需要は細ってしまった。一つ前の記事に書いたようにファンの分裂化が招いた事態ということが一つ、東方神起以外の「箱」は必要なく、あくまでも「個人」としてのみの彼らが存在しているということでもあろうか。そしてやはり、二つのグループはそもそも並列などでは無い。なるべくしてなったとしか言いようは無いが。。。一方で、ユンホの消えた「東方神起」はSMという「国家」全体に浸み出していく様な印象。結界が崩れたという感覚を持った。)