夢のみとりz

見取り図を書いたり、看取ったり……黙って見とれ?はいはい。。。

美魔女と東方婆

美魔女が「本当は若くないくせに、若く見せて卑怯。しかも結局ホンモノの若さには勝てないだろう」ということで「反則化」されて暫く経過しました。メディアの中で行きどころを無くしたオバサン達はどこに、、、

そんなところに「東方婆」記事が(笑)。

東方神起ユンホの痛いファン「東方婆」がソウルで迷惑行為 - ライブドアニュース

入隊直前のユンホをどこまでも、まるで小娘のように追っかける妙齢女性に対する揶揄なのか、ユンホ人気の広報なのか、はたまた他グループファンの陰謀?なのか、意図は今ひとつ分かりかねますが、つまるところ「婆に嘆息する設定」であることは確か。私はこの記事を見て、ちょっとおもしろかったんですね、、、とうとうまわりまわって「東方」差別が出てきたかというところで。でも、ここでの問題は「婆」に集約されていくでしょう。その昔韓流「婆」がたどった道と同じです。昔ヨン様ペンにされていたことが世代交代とともに東方ペンにとうとう回っちゃった。。。別にユノの現場に張り付いてたのは婆だけじゃなかった筈なんですけども(笑)

単純な「ホモソ的オバサン排除」もいままでイヤと言うほど見てきたんですが、オバサンによるオバサンの排除というのもまた有ります。「韓流オバサン」というレッテル貼りなんかもその一つと思いますが、特にトンペンにはそういう人々が目立ってました。まずはとにかく、他のアイドルグループと差別化したがる。嵐ファンと身長問題でぶつかったり、SMAP中居君にいちゃもんを付けてみたりと枚挙にいとまはないくらい。トンペンによる他韓流ペン、他アイドルファンへのマウンティング行為、言動は結構なものがありました。わざわざ自らのブログなんかに分裂後の立ち位置表明と同時に「自分は韓流ファンではないこと」とか「東方神起以外にアイドル等に興味はない」こと等を表明されている方もちらほら以上にお見かけいたしますし。

そういう分類に入れられることを避ける、恥ずかしい、と言う感じなんでしょうし、また2012年以降は、嫌韓がデフォルト化するにつれ、何かこう自己防衛しないではいたたまれない雰囲気もあるのかもしれません。トンペンブログから一気に嫌韓ブログになっちゃったのもお見受けしましたし、その間を苦しみながらいったり来たりしている方もいらっしゃいます。

その方たちのブログ等を読んでみると、内容は韓国のファン文化がおかしいとか、韓流ビジネスの方法論などへの批判あり、愛国ポルノ的主張をする方も居ればしない方も居ますが、全般としては韓国及び韓国文化に対する批判的な態度、嫌悪はかなりの率で見受けられ、でもそのなかで東方神起だけは他グループとは違うという主張(推しメンバーの親日に対する信心みたいなものも有り、他メンの反日をあげつらう場合も有り)、信じていたいという気持ちが入り乱れたり、またいわゆる日本の「韓流ペン」が如何に自国を顧みず韓国に利しているか、そのとりがちな行動にたいする揶揄だとかが挙げられて居る事が多いです。とかく「覚醒」とその「理由」を掲げがち。2ch的というか?愛国とトンへの愛に板挟みにされ愛国を取り挙句にアンチに転ずるとか見ていて痛々しいのですが、愛国奥様世代が中心購買層だからか?

私自身はもとよりのROM専気質のせいか、そういったファンの言動に同調は難しかった面が有りますが、ほっつき歩くうちに、「覚醒」を掲げるブログ等でよく見かける文言の類型として、「リテラシー問題」の指摘があると気づきました。

リテラシーは簡単にいえば情報を読み解く能力、でしょうが、でもその言い方から漏れでて来るえも言われぬ見下し的な感じはどうしても気になる。何のためにこういうことを言い出すのかな?というのが素朴な感想で、、、立場の違いをリテラシーの差に収斂させたりすることは勿論おかどちがい、と明瞭にいえると思うのですが(自分と同じ読み方を出来ない場合をリテラシーの優劣で表現する)、、、、それ結構多発してない?

そもそも情報が元々韓国語と日本語からの発信。翻訳を介さないと行き渡らない事は多いうえ、二つの言語以外にも訳された情報が飛び交うファンダムで、リテラシーを一つの言語の側からだけ計測しようとするのはいかにも無理が有ります。しかも韓日、プラスアルファまで含めて、相当な語学力が有ったとしても、その人達が皆同じ立場に立ってるわけではないし、翻訳を読み込むリテラシーだってあります。

そんなこんなを足し引きしてみたら、そんなに違いますかね??? 韓流ペンと非韓流トンペン?ドラマペンと、アーティストペン?

確かにリテラシーは人によってまちまちであり、ギャップの存在はあるでしょう。でもそれが存在するとしても、わざわざ持ち出す事にどういった意味があるのだろうか?

一言で言えばこれは「空気」の存在を後ろ盾とした「差別的フレーミングの一種」でしょうが、考えを巡らせる中で、想像がつきやすいと思ったのが、韓流アイドルの消費行動をジェンダー視点に置いてみる事でした。

つまり、この状況はミソジニーに似ている、と言うことです。朝鮮半島と日本の長い相互関係の歴史の中では特殊な位置づけとなるかもしれないのですが、時代を近現代、範囲を東アジアに限っていえば帝国日本が男性ジェンダー、半島が女性ジェンダーを担うと置き換えることが出来そうです。韓流はそれ自体が女性的であるわけですね。ですが、面白い事には、実際の韓流消費シーンは女性が男性のセクシュアリティを色々な意味で消費する色合いの方が強く出ています。

そしてミソジニーは女性性嫌悪で有るのと同時に、弱者嫌悪でも有ります。例えば女性アイドルや風俗サービスなどを見ると分かりますが明らかに男性消費者が対象を金銭的に支配し根底で嫌悪しながら消費するという構図が存在します。

しかし「男性」の支配力は経済の変化により相対的には弱まりつつあり、その中で出現してきた「弱者男性」は、自分こそが被害者ではないかと叫び始める。既得のはずのホモソ権益が自分にはちゃんと分配されないではないですかと。嫌韓とミソジニーは兄弟の様に似ているなあと思いました。

ホモソが崩壊を始めるにつれて、ますます肥大化する「弱者男性」視点を取れば美魔女なんて若さに弱い男性の弱点に付け入って騙そうとするだけの「悪」だし「東方婆」は旦那の金を韓国につぎこむ不貞。繁殖期を過ぎても女でいたい魔女は狩られ続け、オトコを消費し続けたい婆は山に捨てられる事が、正しい『空気社会』的リテラシーなるものなのか?

でもって婆が婆をリテラシー差別する根底にもこういったミソジニー的空気の存在があるんだろうな、と思います。