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夢のみとりz

見取り図を書いたり、看取ったり……黙って見とれ?はいはい。。。

女は男のまなざしの外側に存在できるか?-『Mad Max:怒りのデスロード』と『PitchPerfect 2』見てきました。

ロードショーも後半になれば、どんどん格安映画館に降りてくるのがアメリカ。なので、待ってましたとばかりに梯子で二本続けて見てしまいました。丁度上映時間も5分位のズレで、待ち時間もほぼ無く見ることが出来ました。

*以降はネタバレの気にならない方、どうぞお読みください。

まずは『ピッチパーフェクト2』なんですが、はっきり言って前作が期待を上回って面白かっただけに少々苦しいな、という印象でした。相変わらず大学アカペラコーラス・グループ、ベラズの歌も踊りも楽しいですし、前作同様に普通の女子大生のライフクライシス(今回は就活、オトナになることなど。)、ジェンダー、セクシュアリティ、人種、母娘の問題等が含まれてもいるんですが、せっかく今回は「インターナショナルコンペティション」がメインの題材だったのに、ナショナリズム問題が全く解決されずに、というか解決を試みた形跡すらあまり伺えず、単なる「競争」として描かれてしまった気がします。しかも当初ドイツに負けてたのに結局それを跳ね返して最後にはアメリカが勝利する(のを示唆する)的な終わり方、、、パトリオティック過ぎないか??

ところどころ、良いキックは有ったんですが。。。

例えば、今回予告編にBIGBANGの曲が使われた事もあったりして、じゃあコリアンボーイズがかっこいいパフォをするのかな?とちょこっと期待してたんです。が全然出てこない。コメンテーターの毒舌二人組が次々とツイッターなら炎上必須のコメントを垂れるのが、前作からの人気要因でそれは今回も面白かったんですが、その二人が今回会話中で、

「韓国?誰が韓国なんて気にするんだ。焼き肉(BBQ)なら気にするけどな!」

てなことを言っちゃう。苦笑、ですね。。。

つまりこれはアメリカ Vs 世界の対峙の図をここに描いてるとみればいいんでしょうか?ですが、今回ドイツが敵役って事におおきなクエスチョンマークがついてしまいました。もちろん大戦中はナチやジャップがハリウッド的には敵のアイコン。冷戦でソビエトに移り、イスラム圏を通って、北朝鮮、中国と、敵アイコンの変化は続いてます。でもエンタメワールド的には、ここでインドか、韓国あたりでてきても良さそうなのに、出てきたのは「ドイツ」?

上のコメントは自爆ギャグなのかなんなのか?

結局自国と「自国の敵」だけしか気にしていないというか、アメリカの日常そのまんまというか。それ以外は全て「Other=他者」化されている。それが出ちゃってる(出してる?)ようです。確かに上記のセリフは他者化された文化をどのようにアメリカが消費しているかという良いサンプルではあります。つまり「他者を食べる」という行為ですね。と同時に自国が世界から嫌われているという自己卑下の表現も上の二人にさせていますが、これまた「弱者男性」の叫びとダブって見えたりもします。アメリカのパワーダウンによって相対的に「他者」の地位が上がった事もあるでしょう。

そうそう、「他者を食べる(消費する)」ということについては以下の記事が面白かったです。

www.warscapes.com

他国の文化を知ること、が「食べる」事に紐付けられているのがよく分かります。というかそれは「そこで終わる可能性」ということでも有ります。食べる、消費するという行為によって、なるべく簡単に、深入りして傷を負うこと無く他国の文化を知った気にはなれますよね。ですが、自分自身ももうそろそろ、初対面の米人に会う時に寿司トークはたくさんだな、という感覚を感じてます。自分が寿司ネタにでもなった気分が追加されてくるのです。消費する側とされる側、主体と客体、何より他者化された自分を感じずには居られないからというのも有りますね。

もう一つ、多分今作でいちばんのメインイベントであるところのファットエイミーの股間ご開帳事件、ですが、続けて書くつもりの『MadMax4』との思ってもみない共通点がここでした。シルク・ドゥ・ソレイユ、そして女性器、です。

ファットエイミーがベラズの舞台(大統領の誕生公演)で天井から布で吊るされながらサーカスばり(シルク・ドゥ・ソレイユのおはこパフォですよね)のソロパフォーマンスをするのですが、この時衣装の股の部分が裂け、下着もつけていなかった為に性器を観衆にお披露目してしまうはめになります。この一件でベラズは責任を問われ、公演停止を言い渡されてしまう。故意ではない。しかしファットエイミーはなぜかジャネット・ジャクソンがおっぱいポロリした時の謝罪挨拶をまねて挨拶。女はなぜ自分の性器を恥ずかしく、悪いものだと思わねばならないのか?(男性器は、対照的に可愛らしく無垢で、愛称で呼んだり、あるいは雄々しい銃器、武器のイメージだったりします。)

この疑問にエイミーの恋愛模様を通して答えようとしたのかなあとは思うんですが、そのへんがスッパリと描ききれて居なかったような気がします。エイミーが股間を皆に晒しても恋愛を全うできる。。。それって何かの答えになるのか??結局わたしとしては疑問は疑問のまま残されているように感じました。エイミーの相手役のトレブルメーカーのバンパーアレンが、もう少し明瞭に“He for she"を打ち出してたらよかったのに、残念ながらそうではなかったですね。なんとなくもやもやしたまま次にいきました。

 

『ピッチパーフェクト2』のもやもやは『Mad Max:Fury Road』で完璧に吹き飛びました!シャーリーズ・セロンが大好きで、過去にも記事を書いたわたしです。今回も「女戦士」としての下馬評が高い高い!

ravensk.hatenablog.com

 プロメテウスの時も彼女の演技は私の期待値ををうわまわるものだったのですが、今回はそれも軽く凌駕してしまいました!!!もしかしてフュリオサという役や今作の演出が彼女にぴったりと当てはまってしまったからかもしれませんし、何より主役であるはずのMaxが完璧な”He for she"!!

映画見る前には、こんなまとめを読んでまして、、、だから普通のアクション映画の範囲内でシャーリーズ様が頑張るんだな?と思っていた次第です。

リアル北斗の拳!映画マッドマックス4の世界が狂い過ぎ…。【怒りのデスロード感想バイクキャスト】 - NAVER まとめ

 そうしたら、全然違いました。

一応近未来という設定で、確かに狂っている世界観と言えば狂ってるんだけど、現在の世の中が狂ってるのと同じくらいしか狂ってないじゃん?という感想を持ったのです。たしかに怒涛のように押し寄せるアクションとBGM、メカニックのデザイン性など、目を見張るようなイリュージョンが目の前に立ち現れるのですが、その世界と今私達のいる世界は確実に繋がっていると感じさせる。それは、そこに提示された女の(そして男もですが)生きづらさ、と抵抗のためであるのかと思いました。

シャーリーズ・セロン自身もそのような事をインタビューで語っています。

Mad Max: Fury Road doesn’t have feminist agenda, director says

NationalPost 2015年5月14日の記事より

「この文字通りの砂場(!)で女を演じる事ができたのがすばらしかった。男になろうとしているのではなく。」「この映画はリアリティに立脚していると思う」

Maxよりも彼女のほうが主役だ、という呼び声も高いくらいですが、確かにどう見ても彼女はこの映画でMaxと対等以下の位置ではない。しかもこのヒロインは男性主人公とセックスもキスもしなければ、恋にも落ちません。誰かに裸を覗かれる事も無い。それでも、フュリオサは男になろうとする女ではなく、確かに「女」だと、彼女は語っているわけです。同じように強い女でもシガニー・ウィーバーの場合はエイリアンに宿られてしまうわけですが、フュリオサにはそういった設定が無いし、「男」を欲望している訳でもない。

実はディズニーお子様映画のヒロインには「裸覗かれ」かつて定番でした。ワイブスについてはちらりとその典型パターンをのぞかせているのが面白い。衣装もディズニープリンセス的です。

そしてどうもフュリオサの射撃の腕は、Maxより上のようです。一回的を外した後、お前のほうが上手だからと彼女に譲るシーンが印象的。射撃に関しては、銃器の扱いがセックスやジェンダーと重なります。以前Skyfallの映画記事を書いた際も、ボンドの射撃の腕が落ちてしまっているというエピソードに注目してました。

 

ravensk.hatenablog.com

トム・ハーディ演じるMaxはといえば、はてなでお見かけしたレビューが鋭どかったのですが、精神を病んでいる兆候は随所に散りばめられています。そしてその元凶とも言えるところに「娘」の影が見え隠れします。何か、彼が娘に「復讐」されて居るようにも見えます。

マッドマックス 怒りのデスロード:一度でも精神を患ったことがあるなら、もう一度見るべき映画 - farsite / 圏外日誌

この映画をフェミニスト寄りの映画だ、我々のマックスを返せとわめきたてているメンズリブ団体も居るそうで、たしかにフェミニスト、というよりは、ジェンダー/セクシュアリティ視点を多肢にわたって援用した映画であるとは言えると思います。それもそのはずで、かの"Vagina Monologues"【おまんこのひとりごと】の劇作家として有名なイーヴィー(イヴ)・エンスラーがコンサルタントとして招聘されていたということです。(以下記事参照)これが、ピッチパーフェクト2との「女性器」かぶり、です(笑)。男性ジェンダーの病みと同時に、女にとって自分の身体は誰のものであるのか、どんなものであるのか、問われるような場面はかなり出てきます。

www.npr.org

まずは、ブロイラーよろしく繋がれた乳母達が強制的に搾乳されている様子。乳房は食料としての存在でしかない。翻って、男性戦士ピープルイーターが、乳首ピアスに乳首の周りをカットした衣装を身につけチクニーしてしまう場面もあり、ここは性的な存在としての乳首を象徴するのかなと思いました。城塞から逃げ出したワイブス達が次々に断ち切る貞操帯にはギザギザの歯がついていました。女性器に歯という映画も有りましたが、ここからは女性器に対する恐怖とそれに対する抗いを感じました。逃げるワイブスたちを追うイモータンジョーが叫ぶ「その女は俺の子を身ごもってるんだぞ。俺の所有物だ」という言葉。それと対称を為すのがワイブスたちの「私たちはモノじゃない」と言う叫び。

この映画はディストピアサイファイの設定で、それは前作から受け継がれています。その中でフュリオサは強い女兵士として性奴隷状態のワイブスを救いだして「緑の地」(フュリオサの生まれ育った地、理想の国?)に逃がれようとする。この「女が女を解放するストーリー」が素晴らしいという声も高いのですが、それが逃げることから闘うことに転換した地点、フュリオサが、Home、つまり理想郷(ユートピア)探しをやめる部分が私としてはいいなと思いました。たしかに逃げることは男女というジェンダーのDualismの永遠化かもしれない。この部分で象徴的に使われる方角ですが、緑の地は東、イモータンジョーの支配するシタデルが西、です。「オリエント」としての「女」が支配する「西側」に立ち向かう。

Maxが反撃が最初にすべき事じゃないかと説得を試みた部分も良かったし、男性看護師よろしく戦士のフュリオサを看護したシ-ンもじんと来ました。キスもセックスもない。でも「輸血」が彼とフュリオサを繋ぐ。。。完璧な“He for she"といったのは譲り、助け、寄り添う、こんな場面の集積によるものです。

なお、この映画には女性の周縁化の他に男性達が多分にホモソーシャルな社会化によって社(軍)畜化される様子も描かれ、それは自爆テロのようでも、カミカゼ特攻隊のようでも有ります。そこから目覚めるニュークス役のニコラス・ホルトはミレ二アル世代にとってゾンビ映画『ウオームボディーズ』などで注目株の役者さん。彼には「女」の配分等到底無い、戦死することだけが期待される下位兵士の役がふられているわけですが、それも現実と地続きのシークエンスのひとつに思われました。

シルク・ドゥ・ソレイユが出てくるシーンはこちらのブログでとてもおもしろくレポートされていました。

最強に優しい"リベラル"な映画『マッドマックス/怒りのデス・ロード』感想 - LOGLOG

サーカスが非常に「性的」であることは、シルク・ド・ソレイユのような洗練されたパフォーミングアートであっても尚且つ継続している。逆にそれだから面白いとも言えます。。。しかし、戦場での性と娯楽のつながりは明らかに性暴力も想起させるものでも有ります。

最後に、私はこれがゾンビの出てこないゾンビ映画であるという気がしました。ゾンビは不死(immortal)であり、死なないゆえに人はゾンビを恐れる。女は命を作り出すゆえゾンビと似たように忌み嫌われる。また戦場における女性への性暴力を指して「女に対する戦争」と表現した学者もいます。女性器への憎しみは、敵の所有物の破壊の意味と共に、命への恐れに繋がって居るのかもしれません。