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夢のみとりz

見取り図を書いたり、看取ったり……黙って見とれ?はいはい。。。

アイドルの信者が「管理者」でもあること: Super Junior 馬様のスキャンダルから。

先日スマホを開けたら、馬様ことシウォンが、またしてもスキャンダルにまみれていました(;^ω^)

今回はアメリカで、同性婚を認めなかった州高裁の判決に対し連邦最高裁が違憲と判断したことに対し、右派クリスチャンの有名牧師さんが発したツイッターでの同性婚への反対意見をリツイートしちゃったもの。

彼の{お育ちがガッチガチ右派プロテスタント家庭}バックグラウンドならしょうがないだろうっつうのが正直私の感想だったんですが、ネット民はまあ派手に反応してましたね。このニュースは複数媒体で取り上げられたうえ、最終的に馬様が謝罪コメントを出したんですが。その時のK-pop(特に欧米系)ファンたちの反応が非常に先鋭的でした。

SJのパフォーマンス、つべでも見たことのある方ならよく理解できると思いますが、男同士でキスはするわ(しかもヒチョルさんなんて口にですよw結構ディープw)、シャツ脱いでおさわり、液体掛け合い、ハグ、手つなぎ、お姫抱っこEtcというファンサービスがてんこ盛り。もちろんその筋では有名なSMエンタさんですから男同士のカップル押しなども強力にあり、腐女子ファンのファンタジー、ゲイ妄想を掻き立てるわけですね。セクシュアリティの流動化が言われる昨今の若者事情、ファンダムにLGBTがすごく多いという状況もあいまって、腐女子文化も漫画流入とともに定着し始めてる欧米市場でK-Popを語る際のマストアイテムと言えます。

シウォンさん、誰よりもサービス精神旺盛に(てか天然なの?がちなの?とみなさんいぶかしむくらい、それは自然に)、それらをこなしてらっしゃいます。だからかねえ、今回の発言を、

「普段男同士であんなに官能的に触りあってるのに何なの?」

と揶揄する方も居れば(かなり多数がこっちでしたが)、

「結婚には反対でも、性的少数者自体を否定しているわけではないじゃないか?」との擁護派も居たり、

「スジュはファンではなかったが、よくぞ真実を言ってくれた」というような保守的な意見もありました。

どんな意見が飛び交ったかは以下の記事を参照なさってみてくださいね。

www.soompi.com

しかしながら、シウォンさん謝罪前にはきっちり反同性婚の立場の確認もしてまして、ま、そんなこんなを眺めながら、なんで世俗国家と呼ばれ、古くは衆道の伝統を持つ日本が同性婚を認めようとしないばかりか結婚は男女間だけのものであるとか、そうしないと家族が壊れるとかやってんだろうか、というところを考えてしまいました。ガッチガチ右派クリスチャンとほぼ同じなんだよねーーー、スタンスが。(日本の同性婚についてはいずれ日を改めて書こうと思います)

www.sbs.com.au

彼とは逆に、いち早くLGBT支持を表明したのが同じSMエンタのジョンヒョンさんでしたが、シウォンさんは「ビジネス的にそれで成功するとしても、自分の考えは曲げられない」と、頑として否定派の表明してたんすよね。私は個人的にはもちろん支持派ですし、Atheistだし、おいおいどっちがビジネス?って思ったのも事実。でも、シウォンさんを「否定」する気はないの。むしろ彼の内面の葛藤とかを想像するにつけ萌える、という変態でもありまして。謝罪したときにはめっちゃ萌えたわwおちゃみとの同伴入隊にも萌え萌えですけどね。

さてと、ここからが問題。。。

この騒動が面白かったので、もとツイのJohn Piper牧師の主催する団体のホームページDesiring Godにまで足を延ばしてみたんですが、そこで見つけたのが神学者Richard Lints博士とPiper牧師のダイアローグでした。

www.desiringgod.org

「なぜコントロールフリークはアイドルに傾倒しがちなのか?」

というびっくりのタイトルですが、一応ここで言われている「アイドル」は宗教上の「偶像」という意味合いが強いので、歌ったり踊ったりする可愛子ちゃんという「東アジア芸能界の産物」とはちょこっと薄い色の線をひいて置く必要はあります。(アメリカでは、その手の芸能人はポップスターと呼ばれますし、アイドルという呼称を受けることはあんまりない。アイドルは偶像崇拝というプロテスタントの教えのタブーにあたりますからして。)でも、読んでいくとね、ずばっと切り込まれるところがあるんですよ。

”造られたもの{アイドル}は、造るもの{神}に比べコントロールがたやすいというのはあきらかな幻想である” が、 ”コントロール可能なものに対して抱く深い満足感にはえてして非常に強いものがある” って。。。。

自分がコントロールできるものに対して人は中毒する。それは私も知っていました。先月に書いた記事の中でも「アイドルファンは管理者でもある」と書きましたので、暇な方はもう一回読んでみてください(笑)。

ravensk.hatenablog.com

それが実在宗教の文脈でも言われてたのには結構ガツンと来ましたねえ。まあこのダイアログでは、「自分探し」として「偶像性」を用いてしまうことを多分指摘しているのですが。そして、テクノロジー(スマホだのパソコンだの)がその「管理する力」をたやすく人々に与えてしまうのだという素晴らしい洞察もある。SNSを利用した「自分自身のアイドル化」は確かにあります。誰もがスマホさえ開けばたやすく「世界」と繋がれる。そしてそこにはすべてのチョイスがある、というかその様に感知される。この操作性による全能感が自分という存在を全能の神みたいに創り上げる、そういう偶像を個人の意識の中に出現させるって事。

これを東アジアの「アイドル」文脈で解読してみますと。

我々が「アイドル」に抱く「こうあってほしい」という希望はそれがたやすくかなうほど中毒性が高くなる。顔もダンスも歌もうまいのはデフォルトで、さらに「人格」が素晴らしいというすべてが揃う「全き存在」「現人神アイドル」の「東方神起」が中毒の頂点に君臨しているのはそういうわけなのかと思います。そして、韓国アイドルに対して、いい大人の日本女性が特に中毒するのは、彼らとファンとの間の差別的構造に由来するものでもあると思うんですね。金銭面でも、歴史的な両国の関係からも、明らかに非対称な構造が存在します。しかもそれは、日本の過去や価値観に密接につながっている。とにかく、日本のファンには韓国アイドルは相対的に御しやすいのでしょう。これははっきりとネオコロニアルなビジネス構造といっていいと思ってます。

「恋愛は100%隠せ」 「この話題にはこう対応してほしい」 「事業はしないで音楽に専念してほしい」 「メンバー同士でいつまでも仲良くしていてほしい」 「家族を愛する道徳的な人であってほしい」 「常に努力して進化を見せてほしい」

等など。。。まあいろんな希望がありますよね。アイドルは理想の姿でしょうから、やっぱり人格だって良くあって欲しい。わがままなファンの希望をかなえるべく、アイドル達は努力する。しかし、彼らも人間ですので、いろいろと無理なこともあるでしょう。ファンには別に自分がアイドルと恋愛したいという欲望とかでもなく(それもある人にはあるんでしょうが)、でも上記のような自分の考える善、理想への同化を激しく求める傾向が見えるし、それがかなうとそのことをファンは「アイドルからの愛」として受容しがちなんじゃないのかということですね。かなわないとなると、つまりそれは一部のファンにとっては愛されてないって事になる様なのですが、ファンを辞めるばかりではなく、逆にストーカーアンチになったりしやすい。昔、どうして好きなアイドルのアンチになってしまう人がこんなに多いのか、ものすごく不思議だったころがあったんですが、コントロールフリーク、という側面から考えると氷解しました。

そもそも、アイドル信者のコントロールフリーク的性向がなければこれは成り立たないビジネスってことは言えると思うんですが、ファンは気をつけなくてはならないですね。人権に対するリテラシーもジェンダーに対するリテラシーも低い東アジアですが(というより人権という概念が「無い」とまで言われることがあります。そこには論争もあるのですが、、、)、商業に対するリテラシーだけは相対的に高い。「ビジネス倫理」を「倫理的なビジネス」より優先し、そのことに気づかない、あるいは知っていても無視できてしまう状況があるということ。アイドルはファンが(あるいはプロデューサーの)作り出した「偶像」であって、ファンの願い(ファンタジー)をかなえるべく商業空間に存在しているには違いない。でも同時に彼らも人間であることを認めておかないと管理欲という毒でおかしくなってしまうのはファンのほうではないかなあ?アイドル本人も勿論ですが。。。彼らの幸せをファンが願う、願わないによらず、何が幸福かを決めることを含め彼らの人権は明らかに存在するし、それらは彼らのものなので。

追記:恋愛を完璧に隠せというのは、まあそれだけ恋愛という事を重視してるという事なんですよね、多分。てか、それがアイドルマーケティングの基本ですよね〜。恋愛しなけりゃならないという強迫観念が社会から消えたら、もう少しそういった管理項目や条件は緩くなるのだろうか????