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夢のみとりz

見取り図を書いたり、看取ったり……黙って見とれ?はいはい。。。

とりあえず偶像性とはなんだろう?ということから。。。

立て続けにアイドルについての記事を読んだのでそれらについての自分の考えを書いておこうと思います。

読んだ記事は、その訴えの強度にはだいぶ違いがあるけれど、示している方向としては似ているとまずは思いました。以下3記事参照させていただきます。

ka3104.hatenablog.com azanaerunawano5to4.hatenablog.com fuhouse.hatenablog.com

時系列で配置させていただきました。

男性アイドル、女性アイドル(地下)、Kドル(一部日本のアイドル含む)のファンあるいはアイドルに興味や知識を持ってらっしゃる方たちによる、アイドルというお仕事についての考えが述べられてます。

この中で自分にとって重要だった点は以下のようなことです。

  • 女性と思しきお二人はある程度の分量、女性アイドルについても言及されている

  • 真ん中の男性が書かれたと思しき記事は女性アイドルの「プロデュース」サイドも扱っている

  • 三つともアイドルは「職業」あるいは「ビジネス」であることを大前提に記事は書かれている

  • 三つ目の記事はアイドルの「人権」に言及がある

  • 三つともアイドルの舞台から離れた位置での行動(しかしながらビジネスに影響するものと位置付けている)に対する「倫理性」について言及している

私自身は、アイドルは職業である、という位置づけはもちろん構造的にあると思っております。ですが、職業だとして、「どんな」職業なのか?も念頭におきたいと思っています。花魁や慰安婦、ホスト、ホステス、ほかのセックスワークなどと同時に感情労働を担う職業とカテゴライズすることもできそうです。感情労働という観点では俳優、音楽、特にポップ、ロック系アーティストも近いところに位置している気がします。ただ、舞台やフィルムの中と日常の間の線引きはアイドルの方ではより曖昧な気がします。

そのうえで、アイドルに特徴的なのは常に「制作者」(本人含む)が居り(古くは花魁の女衒、現代なら水商売、セックスワークにも管理者の存在がありますね。)消費される対象としてイメージが「商品化」され、ほぼ常時誰かの管理下に有るということ。実際アイドルは憧れの存在そのもの、というより「憧れ」を人々がよりたやすく手にする事ができるように簡便化した「偶像」というのが語源でしょう。でもその卑下した語源の感じには今やそんなこだわらなくてもよくなっていると思うのですが、それでも「像」という部分は残るでしょうね。で、その像のところにファンが何を求めるのか?っていうところが重要なんだと思います。(日本的文脈にはもとから「神」なんていないから「キリスト越え」とか軽く言えちゃうのかもしれませんし、一応社会には溶け込んでるけどそのSignificanceは認知されてないから、かもしれません。その辺は宗教学をきちんとやってない自分にはジャッジできません。)

ただもっぱらそういった「像」において彼ら、彼女らが性的な(恋愛を含む=萌え)消費対象*1となっていることは、演じる彼ら自身が悪いとか、そうみなすファンの目線が悪いとかそういったものではないと思います。しいて言うならジェンダー化された資本主義消費構造の問題ではあるでしょう。でも、面白いのはアイドルとファンとの関係性の中に「人格」や「倫理」がかなりの比重で持ち込まれているのが、日本や韓国型アイドルの特徴かなあと思うんです。

アイドルといったら、アメリカではディズニーアイドル位が関の山ですが、ティーンからほぼ20代前半までで命を終えるこれらのアメリカンアイドル達も、もちろんその期間は「品行方正」で全方位から「好感度」を持たれることを期待される。ですが、たいていは大人になる段階でそういった「幻想」はお墓に入ることになります。

でも、日本型だとアイドルには半永久的にそれが付きまとうんですね。「お仕事」として。。。

今回の嵐、大野さんの事件で大変複雑な心境の女性ファンが多い、ということはすぐに察しがつくのですが、人格的ファンタジーを損なうことによる「萌え」の崩壊って、かなりのものなんだなと驚いています。

確かに反社会的な行動を取ったら、芸能界以前に社会的に罰を受けてしまいますが、今回の事件や、アイドル恋愛禁止などの現象をみるにつけ、日本や韓国の場合はビジネス上に結ばれた「像」から外れることにより「倫理観」を疑われ、それによってビジネスを失う、という事態が往々にして起こるのだということがうかがえます。私の印象としてはこういった社会構造自体が少し「モラハラ」的な性格を持っているのではないかと思って眺めている次第です。っていうのも持ち込まれる「倫理」があくまでもビジネスのラインで語られるということに起因してるかな?権利ではなく責任、義務。ファン(の幻想)に対する義務や責任という形での。。。結局私生活も「仕事」のうちにカウントされるのが「アイドル」なのでしょうかね?でも、そうすることが果たして倫理的であるのかないのか?もちろんハチャメチャな私生活を送るアイドル(例えばアメリカならマイりーサイラスさんだとか、ジャスティンビーバーさん)にへきえきするのはオーディエンスとして普通なんですが、でも人の領域侵さない限りはそれでも彼らの自由ではありますね。「仕事」のところで水戸黄門の印籠が出て、引導渡されちゃうのはやっぱかなり東アジア的、日本的なんじゃないかなとは思う次第です。

  • 余談ですが、考えてみたら、東方神起、JYJのファン戦争も、彼らの倫理観を巡って大々的に争われたんでした。。「東方神起、おまえもか?」なんてな。。。涙。過去形じゃなくてファンには無限ループ状態なのがもっと悲しいか。。。

  • しかしながらもっと余談ですが、先日来ツイッター界を騒がせている「ケリョンデの奇跡」*2がこの3つの記事を読んでいる最中に起こり、うっかり無神論者のはずの私すらそこに「神」を見てしまうという「奇跡」。それは次の記事で書こうとおもいますが、「アイドル」を超える事象だったんですね、私には。。。。

*1:性的というのは性行為のファンタジーだけでもましてやそれがヘテロセクシュアルに限定されるわけでもなく、身体パーツイメージの消費から腐妄想も含まれるということを、コンセンサスとして設けておきたいと思います。性というものがパワーと関連して否応なしに差別的な構造を生じさせるカテゴリーであることも念頭に置いておきたい。

*2:分裂前の東方神起の看板カップルだったユンホとジェジュンが6年間公式に会うことはファン同士の闘争状態もあって叶わず、しかしてファンが芸能人の墓場だと認知していた兵役生活の間に奇跡的に再会、「復活」を遂げたもの。ケリョンデは鶏龍台。韓国軍のフェスティバルが行われ、10月2日公式再会が果たされました。