夢のみとりz

見取り図を書いたり、看取ったり……黙って見とれ?はいはい。。。

ポストSMAP時代の到来と芸能界のグローバル化についての小論:NCT、SJそして東方神起。

本当は論というほどのものではありません。多分私の文の特徴は論と感覚が入り乱れるところにあるのでしょうが、幾分か考えた結果、これで通すことにしました(笑)

さて。New Culture Technologyです。

この動画については東方神起方面からはあんまり反応が出てなかったようです。興味ないのかな?それとも時期的に東方神起とJYJの5人のうち4人までが兵役入りして休止期に入ってるせいもあるでしょうか。うるさ型がいないということで、このような内容の発表をするには最も良い時期といういい方もできるかもしれません。

動画にはグローバルkpopファンからいろいろコメントがつけられていますが、かなりの高率で、「怖い」「ビビる」「終末的」などという表現が並んでいます。スマン会長のカリスマオーラ(?)のせいなのか(笑)独裁者の面影を見ている人は結構多いようですが、でもなぜかそれが「ヒットラー」(!!!)だったりする。


SMTOWN: New Culture Technology, 2016

なぜ東条英機じゃないのよ??(笑笑)

っていうのも、スマン会長の「グローバル化」(あるいはおっしゃるところの韓流の真のローカライゼーション)の取り組みを見ている限りは照準はアジアですし、もっと言えばそのメインは中国。ちなみに比喩としていうなら、Westに対するEast「大東亜共栄圏」的なコンセプトでもあるというのが私の認識です。これは、今回の新しい”NCT”でより鮮明に打ち出されていますが、従来のカルチュラル・テクノロジーでも基本的に変わりません。「アジア」を保ったまま世界を取り込む、そんな感じです。西欧圏のティーンにとったら確かにそれは「終末的」と映るかもしれませんね。

基本はそれとして、ざっとかいつまめば、新しい戦略の主要ポイントはNCT(Neo Culture Technology)という新型ボーイズグループ(AKB、エビ男的な卒業あり、多地域活動在りの大所帯。メンバーの人数にこだわったり、絆を標榜しない縛りのゆるいグループコンセプトらしい。中国狙いでか、武術などがふんだんに振り付けに盛り込まれたMVが見られました)、SJが独自レーベルを持つ、EDM戦略(Skrillexとのコラボとか、、、笑)、音楽ラジオステーション(毎週新曲を1年52週に渡って配信)するというものらしいです。全体としては「インタラクティブ」(相互活性)をテーマにしているとのこと。

このカルチュラルテクノロジーにグローバル化は欠かせないポイントです(以前の記事でも書きましたけど。)民の移動、越境が地球規模で増えている事実がもたらすのは地域に限定されない「ローカル」文化の享受ということになりますが、文化を売る韓流には非常にそこが重要なのですね。

例を簡単にするために自分のことを言ってしまうと、例えば私はアメリカに住んでいますが、私にとっての「ローカル」とは、やはりごはんの文化であり、漫画であり、アイドル文化であったりします。輸送やネットの発達によりそういった自身の育った文化環境を異なった文化圏の中に持ち込み、享受することが非常に容易になり、そのことが逆に今住んでいる文化圏に次第に影響を及ぼしたり、逆に影響を受けたりということが起きる。そういうシナジーを指して複雑で魅力的な変化していくテクノロジーだとスマン会長はおっしゃってるわけですね。(彼に限らず、J-POP含む東アジアのポップ音楽の研究ではそういった移民文化の広がりとローカライゼーションの関係はよく指摘されています。)

実際どんな影響を受けたり、与えたりするのかというと、やはり私も北米に長いこと住んでいる関係でこちらの文化圏の影響も受けますから、音楽やアーティストに対してクリエイティビティ、オリジナル性を最重要視するという癖があったり、その一方、日本的な、それらが重要な意味を成さない「ヴァーチャル恋愛としてのアイドル文化」「ノベルティとしてのJ-POP文化」も自身のなかで受けいれているところが大きい。本来この二つ、音楽性(オリジナル性)とアイドル性(ノベルティ性)、は相いれないものだと思うのですが、自分の中で同居してしまっています。そしてこの New Culture Technologyですが、スマン会長によればキーワードはCasting, Training, Producing, and Marketingだそうです。これは言葉は英語ですが、掘り出し、仕込み、造り、披露目る、という、、、こてこての東アジアの芸能スタイルを明らかに継承しているのじゃないかと思います。そしてこの行為の主体は誰でしょう?

 

改めて問うてみましょう。 

『東方神起』とはこのような文脈の中で、一体なんであったのか?

一つの明確な答えが「文化商品」だと思います。*1

彼らがアイドルという「商品」であること、それはファンの方々がいちばん良くお分かりのことと思います。しかし、特に日本で「アイドルという職業」が江戸時代の家職制度のように捉えられてきた背景を考えるとき、芸能者が「人間・個人」の尊厳を持っていることを忘れている可能性を指摘しておきます。多分忘れているというよりは知っていても「言わぬが花」とする美意識かもしれません。大声で商品だ、などとは勿論言わない。

そして「花」は「人権」など主張してはいけない。

これは例えば次のような発言に端的に見られると思います。

アイドルを国会議員にするな!

自民党が参院比例で元SPEEDの今井絵理子を
擁立するという。
知名度があるし、子供が身障者だから、同情票も集まる
という魂胆だろう。
わしはこういう偽善的な感覚がすごく嫌いで、
むずがゆくてたまらない。

菊池桃子も子供が身障者だから、自民党の国民会議
とやらに招かれているらしいが、そこまでならいいが、
国会議員に立候補するのは止めてほしい。

権力者になれば、政策が違うと思えば、批判しなければ
ならなくなるし、今でもファン意識があるのに、
とことん失望してしまう。

権力者ならば、風刺漫画で、醜い顔に描くこともあり得る。
アイドルだって、内面の醜悪さを抉り出して漫画化
することは、当然出来る。
そういう辛いことをわしにさせないでほしい。
せめて菊池桃子は永遠のアイドルでいてほしい。 

最近の国会議員は、出会い系コンパみたいになっていて、
議員どうしで恋愛したり、結婚したり、育休したりし始める
ので、気色悪くてしょうがない。 

国民のため、公のために、働きたいというよりも、
婚活のために立候補してるんじゃないかと思ってしまう。
公人のくせに、私人の私利私欲を国会に
持ち込むんじゃないよ。

自民党はポピュリズムばっかりやるな!

*小林よしのり氏ブログより引用。

アイドル好きを自認される小林氏らしい文ですが、ここからよくわかる構造は今井絵理子氏が国会議員を「させられる」のであって彼女自身が「する」のではないこと。また菊池桃子氏については「会議に呼ばれる」までを線引きし、それを過ぎて自ら「立候補」することについてのダメ出しをされています。

つまりアイドルは「主体」であってはならない。

と、そのようにお見受けした次第です。

これを念頭に置いて今回のNCTを考えてみるとき「東方神起」分裂騒動が如何に今般のSMAP騒動と紐づけられるかが見えてきました。全く違う、別物だ、一緒に論じるなと言われる皆さんもおいででしょう。「別モノ」という言葉自体がもはや全てを語っているかもしれませんが、敢えて書いてみます。

まずは、この荻上チキさんのラジオ。矢野利裕さんのお話、全体的に大変楽しく拝聴したのですが、最後の10分ほど、ぽろっとこぼれる矢野さんの本音が気になる。私の感じていたこととあまりにも被ってしまったので、ネタばらしになりますが書き留めておきます。矢野さん、SMAPの従来的なアイドル路線からはちょっと外れた音楽、自由なスタイルを非常に愛していらした事がうかがえます。かっこいい人たちが「かっこ悪い」毎日を歌い「頑張りましょう」と歌いかける、そんなSMAPが好きだったのに、先日の解散報道からの公開処刑とも呼ばれたフジテレビでの「謝罪劇」。あんなものを見せられるくらいならいっそのこと「解散してしまえ!」と、思ったと。

 


22 矢野利裕×荻上チキ「音楽性から考えるSMAP」2016.02.08

 

私も同様に感じました。疑問が頭を巡りました。私もSMAPは好きだったんです。ゲロすると、デビュー時から見ていました。数々の楽しいバラエティが頭をぐるぐるしました。何故彼らが「謝罪」するのか?彼らがどんな罪を犯したと言うのか?そして私の好きだったSMAPは幻だったのか?SMAPをもってしても独立し「主体」となることが叶わない芸能界というのは、どういうところなのか? そして、SMAPという「商品」さえ、安定供給されるならファンはそれで満足なのか?

それが世界にたった一つの花なら、それは「世界にたった一つの造花」じゃないのか?

「物言わぬ花」本当にそれでいいの?

小野登志郎さんがかなり以前にSMAPについて書かれたこちらの本、大好きな本でした。「ナンバーワンではなく、オンリーワン」。その持つ意味を象徴したSMAPが社畜よろしく頭を垂れ、紋切りの謝罪を述べるところは正直見たくは無かったですね。たとえそれが待ち望んだ「本人からの言葉」であっても。ただ、そう思ってしまうのも彼らがいかなる意味においても[アイドル]だから、であり、私たちは「自由なSMAP」という幻想に浸かって居たかっただけかもしれません。こちらの本、SMAPが私達にとってどんな意味があったのか、今一度確認したい方は是非読んでみてください。

 

「世界に一つだけの花」の意味―SMAPが教えてくれたこと

「世界に一つだけの花」の意味―SMAPが教えてくれたこと

 

 

翻って東方神起は私にとっては非常に大切なポイントと感じる音楽におけるクリエイティビティという要素、同時に高いパフォーマンス性、花のような容姿とバラエティでも通用する日本型のアイドルらしさを兼ね備えた理想的な「商品」でした。しかし、それでもなおかつ私にはSMAPや嵐と言ったジャニーズのアイドルのほうが何歩も先を行っているのだという思い込みが在ったのです。*2 特に初期の頃の彼らには昭和から抜け出てきたような少しあか抜けないかわいらしさがにおいましたし。

分裂してから追い始めたわけですが、正直なところ分裂は、ファンを含め見ていて痛々しく、良いことと思う感覚はあまりありませんでした。ですが、気持ちが変わりました。あれは、痛くても必要な事だったなという方向に。それは、いま東方神起が「安定供給」されているからでもなければ、JYJが完全に自由になったとかいうことでもない。2をみても3を見ても不自由さの感じられる彼らがそれなりに分裂の傷を負いながらも、それでもすでにSMAPのはるか先を走っていたことにようやく気付いたからです。

松谷宗一郎さんの記事をお読みください。(もう読んだかw)

bylines.news.yahoo.co.jp

少なくとも、今回のSMエンターテインメントの方向転換を見れば、どれだけ東方神起、またその後続グループの脱退、訴訟劇が影響しているか推し量ることはできる。人工的に編成されたグループであっても絆を保ち続けられる場合もあり、そうでない場合もありましょう。でも、えてしてそれは難しい。そしてそれを「売り」にすることには限界がある。だからAKB方式を入れ、SMAP同様にメンバーの自由度が高く、マネさんのキャラもたっていると噂のSJに独自のレーベルを持たせる。しかし、AKB方式が社畜システム(もっと言えば芸者置屋)と大差ないシステムであることを考えれば、今までよりもさらにひどい状況が生まれる可能性もあります。一方SJにレーベルを持たせることは、彼らの自由度を上げて、いわば社内独立をさせ自己マネジメントの可能性を持たせることによって、ファンの歓心を買うことができる。イトゥクもSMAPに言及したところを見れば、私の推理も遠からずかもしれないですね。奏功するのかどうかはまだまだ予断を許しませんが。

また絆なら、お仕着せに頼らずとも「ケリョンデの奇跡」によってグループ、芸能社という縛りのないところでも存在することを確認したファンは多くなりつつあるでしょう。*3 逆に、仲良しを演じていただくこと、それを鑑賞することに無理をかんじているペン(個人ペンのみなさん)も多くなってきていらっしゃる事でしょう。

人間ですので。

 東方神起はアジア的な文化価値、優れたマーケティング理論、経営ストラテジーの証左であり、アジアの「徳」の象徴でもある。しかしどのように優れた市場論理に支えられた、かつ素晴らしい芸能文化であったとしても、それを行うのは人間です。人間に対する最低限度の尊厳は常に払われねばならず、その払い方は学ばねばならない、ということ。私たちファンも芸能各社もです。それが「ポストSMAP」のアジアの芸能界の必須事項ではないか、今、そう思っています。

90年代、アジアでも高まる「人権」の機運に対しアジア的な価値と相いれないと文化相対主義を主張し「文化は運命」といったシンガポール建国の父イ・クアンユーに対し、「文化は運命ではない」と反論して見せたのはユノさんの故郷光州の名士、金大中でしたよね。

以下参照文献:

Jung, S. (2010). Bae Yong-Joon, Soft Masculinity, and Japanese Fans: Our Past Is in Your Present Body. Hong Kong University Press.

Zakaria, F., & Yew, L. K. (1994). Culture Is Destiny: A Conversation with Lee Kuan Yew. Foreign Affairs, (2). 109.

 

*1:この部分は後でもっとどんな「文化」をどこに、誰に伝えているのか詳しく書いてみたいと思っています。

*2:ここは上野千鶴子先生が韓流に対して指摘する「優劣意識から逃れられない」部分でしょう。資料に挙げてありますが、「あなたの現在が、私たちの過去」というような感覚はとくに高齢の韓流やK-POPのファンに付きまとう印象があります。

*3:ユンジェペンなんかは典型的ですよね。そしてユンジェ本人たちのお仕事、とユンジェペンのお仕事、それこそ非常に「インタラクティブ」じゃないでしょうか?