夢のみとりz

見取り図を書いたり、看取ったり……黙って見とれ?はいはい。。。

オスカーのこと

オスカーのこと

 

2017年9月23日6時22分、我が飼い猫にして我が主人(私はしもべ)、オスカーが亡くなった。一緒に暮らして15年と少し、推定15歳7か月。私は勇気が無くて安楽死をためらってしまった。最後に苦しませてしまったこと、悔いている。ただ、安楽死させたとしても結局悔いていたとは思う。どちらにしても悔いは軽減するわけではないのかもしれない。

 

21日木曜日お昼頃に倒れ、少し痙攣があったのち昏睡状態になった。ところが夜中に体が暖かくなったなと思っていたら普段ゆっくり寝ているときのように頭を前足の中に入れるしぐさをして、すこし伸びをするとなんと目を覚ました。そして体を起こそうとする。支えてやると何とか起き上がった。なかなか後ろ足が動かない。それでもよろよろと立ち上がり、その辺にともちゃんがぬぎちらした洋服の山を越えてどこかへ行こうとする。ふらふらするのを支えてやりながら向かったのは玄関ドア。

 

外に出たいんだろうか、オスカー?タオルにくるんで抱っこして2-3歩外にでた。金曜日朝3時半くらいか。。。まだ薄暗かったけど、外は見れたね、外の空気はおいしかった?オスカー。その後また玄関に戻すと玄関前の床下が一番暖かくてお気に入りの場所に香箱座りをした。私は物陰にかくれた。だってじっとみられたり邪魔されるのは好きじゃないからね、オスカー。ちょっとの時間だったけどいつものオスカーに戻ったみたいでうれしかった。でも彼の命が尽きようとしているのはもうわかっていた。しばらくしてガチャついた音が聞こえたので見に行くとキッチンの端まで移動した彼は犬のシドニーの餌と水用ボウルの前にいた。水を飲むようなしぐさを見せたけど飲まず、倒れこんだ。以後丸一日昏睡と痙攣を何度か繰り返し、苦しい呼吸をして土曜の朝逝ってしまった。最後は苦しかったんだろう、何度か大きな声で鳴いた。。。最後まで戦っていた。勇敢だった。ごめんね、オスカー。Mommy助けてあげられなかったよ、今回は。

 

オスカーの体重が減り始めてからかれこれ2年くらいだろうか。獣医にみせても多少の貧血以外何も見つからなかった。伝染性の病気でもなかった。なんとかしたいと思ってハーブ系のサプリなどを飲ませたり、高カロリージェルをあげたりして少しは体重が戻った。何度かそれを繰り返し、タンパク質や油分の割合が高いフードにたいして吐くことが多くなったので、消化に配慮した餌をお湯で少しふやかしてあげていた。ウンチの様子から見て胃腸の調子はそんなに悪くなかったと思うけど、でも体重減少は止まらず最近は骨と皮ばかりに痩せていた。カリフォルニアに引越しした当初はジャンプして登れていたキッチンカウンターやテーブルにこの夏の初めごろには登れなくなった。きっと長くないと覚悟した。それでも食欲は旺盛で椅子に上ってからならテーブルには登れたし、私たちの食べ物をほしがる様子も以前と変わらなかった。倒れた日の朝も私を寝室のドアのところまで迎えに来て、餌と水を待ってましたとばかりに彼用にしつらえたEating Stationに運ぶと軽快に二段跳びで登ったのだけど。

 

オスカーを見送ったのはサンタクルーズに向かう途中のロスガトス付近の火葬サービス。車では私が箱を抱っこした。軽かったなあ。。。多分一番体重があった時の半分以下になっていたと思う。月曜からDaddyの出張もあるし、グランマが午後にデイトンから到着するわで、今しかないというタイミング。なぜグランマが来る本当に直前に亡くなったのか、本当に偶然?グランマは絶対安楽死をすすめるだろうというのがわかっていたので、来るという連絡があったひと月ぐらい前から、なぜ安楽死させないのと言われたらいやだなあ、どうしよう、、、とか言っていた。あれ聞いてたの?引き渡しだけで、焼いた後で連絡をくれるという。あっけない別れ。ふわふわのタオルをかけてやり、字が読めるわけじゃないけどお別れのノートを入れた。最後に撫でてあげた。もう喜んではくれないけど。

 

オスカーは私たちと過ごした15年楽しかったかな?私たち家族はオスカーの頭の良さや、王様のような堂々とした態度にやられっぱなしだったように思う。DaddyはBadAssと呼んでいたもんね。ほかの猫のようにデレたりすることはなくて、LapCatでもなくて寂しいくらいクールなオスカー。抱っこされるのも嫌い。Mommyだけは抱っこの方法を知っていたので少しの間ならさせてくれたけどね。

 

オスカーが我が家に来てくれたのは2002年8月の終わりごろだった。友人Boさんが、私たちがついに念願の家を買い、ついては猫が欲しいといっていたのを覚えてくれていて「かわいいクリームカラーのキティがいるよ」と教えてくれた。Boさんの当時の上司であったDianさん一家がマクドナルドのごみ箱のところでうろついていたのを保護していて、でももうおうちで8匹も猫を飼っていて増やせないからと里親を探していたのを連れてきてくれたのだ。クリーム色という色のアメリカ人との感覚の違いを認識した時でもあった。まだおぼえてるよ、Dianさんの当時16歳の娘にだっこされてたオスカー。オレンジというよりはうすーいベージュの、タビーには違いないけど胴体部分は縞模様があいまいでほとんど縞が見えないきれいな被毛と、6か月にしては大きな骨格と長い体躯。でもまだ若さいっぱいの遊び盛り。多分メインクーンが少し入ってるかな?という感じ。私たちはSICSAという地元のシェルターを介して予防注射の手続きなどをすませ彼を引き取った。

 

詳しい日付は残していない。日記をつける習慣のない私。アホか。記憶力だけを頼りに生きていくのはもうだめだと思ったのがつい最近だなんて本当に大人げない。それでもアルバムをごそごそしてみたら、最初の写真が出てきたよ。2002年の9月9日。グランマの深紫色の椅子にちょこんと座りこちらをあどけなく、緑の目で見つめるオスカーの写真。続けて当時4歳を迎えたばかりのともちゃんと子供部屋で遊ぶオスカーの写真。ともちゃんにお願いしてシャッターを切ってもらった私と一緒の写真は私の顔半分と彼の胴体しか写っていない代物だけど、フォトグラファー4歳だから仕方ないか。

 

前足の爪を抜く手術をしてから、足で砂をかけるのが痛くて嫌になったのか。。。トイレを使いたがらずおしっこをいろんなところでするようになり、同時に外に出たがるようになったオスカー。気持ちを落ち着かせるキャットフェロモンだとか試してみたけど治らなかった。うんちはちゃんとトイレでしてくれることが多かったけど。でも外に出るようになってからアクシデントは減った。外にでるといっても両隣の敷地くらいの範囲しか出歩かないし、帰ってこないということはほとんどなかった。でも寒いときは凍り猫にならないか心配したっけ。ドアの前を他のうちの猫が通るとめちゃくちゃ怒ってドスの効いた唸り声をあげる。でもジャンプや走り抜けるときの動きは優雅というか速度と軽やかさが有り、するっとシームレスな動きで人の読みの一歩先をいくので、なかなか捕まえられない。

 

リスにはいつも臨戦態勢。前庭の茂みの中がお気に入りの隠れ場所。ほふく前進するときの鋭い瞳は、最高にかっこいい。時々ポーチからリスとの接戦目撃したっけな。庭にはほかにもいろんな野生の動物がいたので、結構お土産がドアの前に置いてあることもあった。ネズミに鳥に、オポッサムETC..シドニーとどっちが捕ったのかわからないけど。お土産を一番よろこんでいたのはDaddyだったかも。爪のない前足で良くやったと思うけど、彼の最大の武器は瞬発力と後ろ足の強さ、鋭い歯とあごの力かな。私たちも機嫌を損ねるとガブッとやられ、相当に痛い思いをしたけど、高齢になっても歯はほぼ衰えず、食べたいものを食べれたのはよかったと思ってる。とにかく食べるのが大好きだった。

 

一番お気に入りの思い出は、お決まりの場所である前庭の茂みにいるオスカーが私が買い物から帰ってくると車のちかくまでよく迎えにきてくれたこと。ドア前まで私の前をあるいて「誘導」してくれた。隣の庭の木の枝にいてチェシャ猫みたいになってることもあって笑っちゃったな。車が家に近づくととことこと庭を横切り私の車の助手席側のあたりに待ち構えていた。助手席に置いてある買い物袋をひっぱり出して私が家のほうをふりむくとしっぽをピンとたて、こっちだよ、ついてこいというように振り返り、小走りに私の前を行く。そして私が玄関ドアを開けるのを毅然と待つ。

 

オスカー。

 

最後の1年近くはアパート暮らしになってしまったから、お気に入りの庭で遊ぶことができなくなってしまった。ごめんね。一緒にカリフォルニアまで来てくれてありがとう。来るときは車にすし詰めのロードトリップで、疲れたよね。今はゆっくり休めているかな、苦しさももうないかな?自然に囲まれてゆっくりひなたぼっこできてるかな?いつかMommyがそっちに行ったらまたMommyと一緒に暮らしてくれるかい?好きな鮭やサバやおさかな缶もチキンもなんでも食べさせてあげるよ。膝にのらなくても時々前みたいにベッドの足元やカウチの背もたれで一緒に眠ってくれたらうれしい。スフィンクスみたいにかっこよくカウチの手すりに乗っててほしい。のどや頭をなでてあげたらゴロゴロしてくれる?オスカー。さびしいよ。食卓の隙を虎視眈々と伺う薄茶色のモンスターがもういない。でももう病気と戦わなくていいのはよかった。ともちゃんもそれがほっとしたって言っていた。そういえば父が死んだとき私もそう考えたな。動物だから、安楽死をと思ったところもあるけど、父と同じと考えたらいいのか。それにしてはお世話をした時間が短くてあっけなかった。もっともっとおいしいものをたべさせてあげたかった。こんなに早く行っちゃうなんて。アマゾンに追加のチャオチュールをオーダーしてもう明日届くというのに、こんなの書いてるなんて。。。オスカー。心残りがつきないMommyだけど、許してね。ありがとうね。ピーピーアクシデントには悩まされたけど、今となったらおしっこのにおいさえ恋しい。誰かがそんなことを亡くなった猫について書いてた。嘘、っておもったけど本当だった。オスカー。また、一緒に暮らしたい。

 2017年9月25日

 

私のベッドでくつろぐオスカー。美しくもあいまいな縞模様。 

2013年4月撮影

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*オスカーが亡くなってまもなく偶然中川翔子さんことしょこたんの愛猫マミタス様も亡くなったのを知りました。それをしょこたんが報告したら13歳という年齢のせいで何か言われた模様で。。。偶然重なった死ですが、自分のことのように痛かった。わたしもとても理想的な飼い主とは言えない。でも、オスカーのことは大事に大事に思っていた。しょこたんだってマミタス様を大事に思っていたはず。ペットというけど、そのひとの心に占める存在の大きさは動物を飼う技術とかと比例するわけじゃないとおもうんだけどさ。そんなこと言ったら、ガキの育て方だって、わたしなんて全くなっていないし。だからっつって粗末にしてるわけではないんですよ。悲しんでいるひとに結果論で説教するしかできないなんて、どういうもんだろう。。。それともそれはツイッターだから、なんだろうか?とりあえず怒ってみてもしょうがないし、悲しみも癒えないから、マミタス様のご冥福もここに合わせてお祈りいたします。