夢のみとりz

見取り図を書いたり、看取ったり……黙って見とれ?はいはい。。。

家族の肖像6 One for Five...Feat. シンドン

最後を飾りまして、家族神起の「家」について語るついでにシンドンさん発言についてもちょっと触れてみたいと思います。

東方神起分裂が起きた当初に出た報道記事のうちの一つで韓国人の記者のかたが言っていた言葉なのですが、東方神起は誰のものであるかという疑問に対し、

「東方神起は5人が半分と企画社が半分権利を持つというのがごく自然であろう」

と語った、この言葉に同意するんですね。彼らはSM社の所有物ではない。ごく簡単には、現在JYJが30%を保有し、SM社と二人が合わせて70%をもっている、というくらいに頭の中では整理を付けています。もちろん裁判所がこの事を今後どう扱うかで、認知、承認はまた違ったものになるでしょう。裁判所がどんな判決を下そうが、関係ない、自分は許さない、とされる考えもあるようですが、社会の一員であることは、ある意味で自分で選んで従っている(制度の存続を許していること自体)、という考えが自分にはありますので、どのような裁判所の判決も市民として尊重したいと思っています。

最近、再結成の噂から、SuperJuniorのシンドン氏の発言、JYJの映画公開キャンセル、チャンミン氏の映画撮影中止と色々な事が起こってファンの気持ちもざわついているのではと思います。

私はこのシンドン氏の発言を非常に面白いと思いました。彼が「東方神起再結成の噂がなぜ日本からなのか?」という疑問を投げかけたからです。やっと気づいたか。「そういう噂があるのならむしろ韓国で再結成して欲しい」。

シンドン氏は更に、二人も三人も頑張っているが、五人を超えるものはないとも発言。
これに怒ったホミンファンとSJマネージャーの間で舌禍が起きると言う事態になったもようです。それでが今度はトンペンとSJペンの争いにまで発展したとかしないとか。。。まあ、忙しい。。。

私としてはちょこっと論点が違いました。

この分裂がおそらく日韓の間で、彼らのアイデンティティを引っ張りあった結果起こった問題でも有ったことにやっとのことで彼らも気付いたか、このように受け取ったからです。その意味で、あの再結成の噂記事は大変物騒な記事だったかもしれません。要らない、婚外子扱いの筈だった3人がナショナリズムをちらつかせるなら一気に大事な「自分たちのもの」になりうる、ということ。

もしかすると、韓国の大きな世論の流れではやはり5人を良い形でもう一度組ませてあげたい、とする考えが根強いかもしれません。3人はもちろん、2人も全くそれを否定したことはないですし。国のお宝ですから。ただし、夢の庭を出て現実にまみれた3人の帰る「家」は、多分もう華麗な装飾を施されたSMバーチャル国家では有り得ない、とは思います。

K-POPナショナリズムが吹き荒れる韓国芸能界とメディア産業。そして、これが意味するもう一つの事が有ります。今こそ、まだまだ日本市場で頑張っている二人の東方神起。SMEが彼らの所属社であるということは、つまりSMEが、もうJ-POPは終わりだよ、と終止符を打てば、日本のファンは彼らを取り返す術は無いと言うことです。世界中どこでもついてまわってK-POPだけ聞くとか言うなら別なんですけどね。だからこそ、成功とは到底言えない形でも、JYJが、東方神起として独立しようとしてくれたことを今私は感謝する気持ちになるのです。彼らは自分達でで決めることができる道を選んでくれようとした。そのことに。

国策。K-POPを海外へ広める役割。例えばチャン・グンソクなら自分で受ける仕事、受けない仕事を決めるでしょう。でも企画社が全てを決める権利を持つのであればどうでしょう。そのあたりに東方神起の分裂と裁判の帰結点はあるのではないかと私は思うのです。「自由」と言う言い方が曖昧すぎるなら、自分の事を自分で決める最低限の権利、ですね。訴訟後に起こったJYJの村八分現象を見てみれば、この訴訟がいかに「個人の権利」とそれをさまたげる芸能社の体質に関わっているのかがわかるのではないでしょうか。

そして、シンドン氏の言う誰にも超えられない5人の東方神起。

これは、私は実はアーティストとしての実力とか何かという以外の要素が大きいと思います。前に言っていますが、彼らは動画メディアの寵児でしたし、3次元腐女子マーケティングにおけるカリスマアイドルでもあり、フォトショップ普及の貢献者でもあります。パフォーマーとしての実力を見るならば今のチャンミン氏の歌唱力しかり、ユノ氏のダンス力しかり、ある意味で5人を上回ったと評価を下すことなど簡単に出来ます。3人にしても、二人には見られないアーティスト性、作詞、作曲能力、その上での確かなパフォーマンス力も有ります。それを5人時に比べて「アーティストになってしまったから二人より優れている」などということは簡単です。それでも尚、超えられない何かが「5人」という部分に存在するのではないかと思うのです。

例えば訴訟さえ彼らの存在を社会現象にしましたし、動画メディアでは5人の画像が絶え間なく更新され、新しいファンが増え続けている。彼らには世界中にファンが居て、情報を共有し応援している。5人が忘れられる日など簡単に来はしない。

さらに言うなら、彼ら5人はこのシリーズで語りましたようにそれぞれ出自も違えば、個性も全然違う、価値観も何もかも全く違った5人が一緒になって出来上がったグループです。価値観が違う、ということが互いを排除することばとしてファンの間で頻繁に使われることは、残念です。またその価値観が、音楽を一緒にやることのどんな妨げなのでしょうか。音楽性が違ったとしても、グループでやる音楽と個人とが違う場合、グループに合わせる事ができる能力の無い人たちでしょうか、彼らは?

もともと一緒じゃない、とても違った5人だったからこそ、東方神起のあのカラフルな色合いが生まれたのではなかったのか?ただ、「どこで」東方神起を行うかが、二人と三人で分れたからこその分裂で東方神起自体を瓦解させる気はどちらも持って居なかったからこそ、ファンに待っていて欲しいと彼らは告げたのではないか?だからこそ、体にまで約束を刻んだのではないか?

3人が独立を画策したことにも、そして二人が東方神起を伝える肉体と声を私たちに与えてくれ続けていることにも私は感謝をします。(ゆの、骨盤ありがとうm(__)m)←

とともに、将来二人と三人が再び出会えるよう彼らの「家」を守りたいと思うのです。
お知り合いのブロガーさん(む○ちょん様、早く物陰から出てきて?)のところでもしばらく前に思いきり叫んできたんですが、5人が揃って帰ることのできる「家」を守るのはオルペンだと思うのです。だって、5人はやはり一緒にやりたいのではないか?これ、基本なんですね、少なくとも自分は。

最近になって、気がついたことを皆さんと共有して、記事を終わりたいと思います。

まず、「電○でもひっくり返せない3人悪の方程式」。

私はこれを、ひどい例え話にして、ある方とお話したことがあります。比較的きれいな雑巾と汚れた雑巾があったら、どちらを選ぶか。きれいなほうですよね。汚れがひどいほうが汚ければ汚いほど、さして汚れの目立たない方はもっとずっとキレイに見えます。

まあ、これが二人と三人の最近までの情況であったわけです。汚い3人。

最近ですが、二人がオトナ市場をねらうということも有るでしょうが、ややダーティなイメージに変えようとしているようだと言うこと。ユノ氏のダーティ・ダンスにしろ、チャンミン氏の「黄金を抱いて飛べ」出演にしろ。二人が三人のいる方へ一歩近づいている?何かカムバック時の清く正しく美しい王子様イメージをちょっと脇へ押しやっているように感じられる今日このごろ。

ぶっちゃけ、汚す方が数倍、いえ数百倍も簡単だと、3人に対する仮判決後の印象操作でもはっきりしていますし。二人を今度はものすごくダーティにしなくていいからトーンを近づける(TONEですwww)。3人のほうは社会活動などで、少しずつクリーンな印象に戻していけばいい。

これはなかなかいいシナリオでは有ります。

また、「言葉では無く行動」のユノ氏から最近漏れ出してくる言葉の数々。「日本は外国に思えない」、「好きな動物は犬とヒョウ(クリームチーズケーキって言ったらどうしようかと思った(-_-;))」「好きな人たちと住める大きな家が欲しい」「好きな歌手はイム・ジェボム」「淋しい」。。。。淋しいんですって!彼は。

本当にどうにかしてあげたい気持ちに。。これって何かの策略でしょうか?
それとも隠してないサインですか????

まあ、色々な見方ができると思います。私の気のせい、いんや、○きさんの言葉を借りて言えば私の頭の「不具合」のせい(漢字違うって??)。。。それとも単なるオルペン対策?ユノ自身が?

オルペンの「家」に彼らがまた住みたいかどうか、まあ、わからない訳ですけど(こんな変鯛ばかりの家、JJしか住んでくれないかもTT)私は皆様がいると思うと寂しくないです。(5人に対する寂しさをみんなで分け合えるじゃないですか…そして一緒にユンジェリアリティショーも堪能できますし???)

という訳で終わります。(あっさり)

ちょうどとみさんも、JYJの映画の上映がキャンセルされた件で韓国有力日刊紙に「JYJに市民権を」という論説が載ったことで、調べて記事を書いてくださいました。読んでみて。記事リンク。

動画お借りしました。じゅんす「幽体離脱」