「役」とかいうことについて
「ママ」を辞めるってww
でもま、よく言われますよね。「母親」の役割って。
役という言葉から考えると、それは「業務」と言っていいのかもしれない、あるいは演技の役柄。
言ってみたら、母親っていうのは生物学的には子供を出産したら自動的になるもんだけど、てかそう言うなら女という性別持って生まれたら、生まれながらに母親を内蔵してることになるわけですけどね?
でも「母親の役割」という言葉に含まれる母への社会的な期待というのは、出産だけにとどまらない訳ですよね。主婦業、家事、育児、家庭のこと全般にわたって「あるべき母親像」のイメージ、があるじゃないですか?そこに自分を押し込めようと躍起になる、あるいはそうでない自分、あるいは他人を認められない。っての多くないですか?だからね、演技しちゃいますよね、ときどき。
世の中にはたくさん職業があって、個性によって向き不向きがあるというのに、「母親業」には、向き不向きなんて、許されないってか?いや、アタシも若干苦手科目なんですよ。でも、産みたかったから、責任取らせて頂いてますけどww
ハーヴァード大卒の専業主婦、というケースがアメーバで話題に昇った事が有りました。その時のコメントを見ると、ハーヴァード卒をひけらかしているから反感買ってんるんだ、という嫉妬みたいなものから、ハーヴァード出てるのに主婦やるなんて、学歴の無駄使いだという主婦不要論みたいなのまであったんすね〜
母親業と主婦業は、違いますけど、女の「生業」という観点で見るとつながったりかぶったりはしてます。そしてこのハーヴァード大卒の主婦の方の主婦でいる主目的は、4人の娘の子育てを自分でしたいから、だったと思います。。
で、上記のコメントから感じたことですが、母性やら、母親という看板をものすごく大事なこととして振りかざす割には、学業やインテリジェンスは母親業や主婦業には不必要な事なんだ、へ〜?ってな感想持ちましたね。と、同時にハーヴァード出て、ひけらかしたら「主婦」の反感買うんだ?だって主婦の大半はアイヴィーリーグなんて行けっこない、おバカな女の集まりだから?なんですかね?主婦というのは低級だが必要至極なもので、対価は不要?
そしてインテリジェンスと母性とは相反する、しなきゃいけないもんなのでしょうかね?とも思いました。いや、良妻賢母、的な「男を立てる」とかいう家父長的な世界観のなかでの女の賢さではなく、男を押しのける事ができる位、社会に十分すぎる程通用するインテリジェンスを持っている、そういう彼女がママ友探ししたら、学歴でも隠さなきゃイジメに合うのかな?
堂々と学歴を隠さずブログを続ける事、それによって論議を呼ぶこと、は実は彼女の目論見の中に含まれてると思います。あえて、ハーヴァードを出て子育てと主婦に専念するという行動の意味には、上記のような価値観、「家庭における無償労働」つまり女の役割への過小評価、「外に出て働くこと」への過大評価への挑戦の他、家庭の外で医師として働ける彼女があえて主婦をする事で得られる、収入を稼ぐ夫と「家庭内の仕事」をこなす妻の家庭への貢献の立場、パワーの平等性を読み込む事が出来るからです。
そして、これは人間を「生産性」の奴隷にしてきた資本主義への密かな仕返しでもあるんじゃないかな?有償労働で高い収入をあげられる彼女の無償労働への寄与、は無償であるはずのものを有償化させること(尊厳という面を含め)につながるかもしれない、と私なんかはほくそ笑んだりする方です。
そんな彼女のブログは、子供のIQを高めるだとか、○○大に合格させる育て方、などといった「子育て精神論」的テーマではないということも言っときます。「ありがとうと感謝できる子を育てる」的なテーマ、がしいて言えばしつけの部類で、あとは、子供の写真やものを整理する便利なアイディアとか、ハロウィンコスチュームの選びかたとか至って実用的なウィズダムに溢れています。自身で言われるように、楽しいのがイチバンという書きっぷりです。(しかし、「有名大を卒業したのに洗濯物の仕分けなんかしてるんじゃないよ」的ヘイトコメントがきたときの文章には、はっきり、誰かが自分の人生をこうあるべきと決めつけることはできないと反抗心を語ってましたね!)
リンクを入れておきますので、興味のある方は飛んでってくださいねーー。