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夢のみとりz

見取り図を書いたり、看取ったり……黙って見とれ?はいはい。。。

カルチュラルテクノロジーと文化産業について?萌えと燃え−1)


前記事の『ポルノ化する音楽』は更に「文化産業」全体の動きとして捉えなおす事ができるかもという事で書いてみます。まずポルノ化しているのは、何も音楽に限りません。

つい最近もたいへんお騒がせなニュースが上がってたのご存知でしょうか?こんなんですよ。。。アメリカンアパレルの秋の新製品カタログ、、、、ポルノか?みたいなね、、、
アメリカンアパレル

センセーショナルにエロい広告でフェミニストのやり玉に挙がることもしばしばな、アメリカンアパレル。あ、でも私は商品は結構好きですよ。ただ品質に対しての価格設定は高すぎると思うわw で、この広告、今回は『未成年ポルノ』ファンタジーじゃないかと大変論議になってます。以前はアバクロがやられてたんですけどね、その位置に居るのがアメリカンアパレル。ユニクロが最近アメリカで展開しているのですが、どのように切り込むのか、面白いなと思ってます。ファストファッションの日本の雄として期待されているみたいですからね。

でも、スクールガール(女子中学生、女子高生)=エロ、なんてのは、まあ日本ではもう普通?というか、そういうイメージを持たずして彼女らという存在を眺めることが難しいまでになってませんか?JKやJCという存在そのものが、風俗の釣り、キャッチとして普通に有るわけで(ため息)。

考えてみれば「不倫」が文化になったら人妻やOLがポルノ化、「援交」ジェネレーションが現れたら現れたで女子高生がポルノ化。。。。思い起こせば85年「東京女子校制服図鑑」(森伸之)という本の初版が出ました。(筆者注:均等法が翌年ww)

その以前から日活ロマンポルノのセーラー服から「風と木の詩」なんかの男子校制服などなど、制服フェチは有ったにしろ、この「図鑑」ができちゃった事は大きいと思うんです。これで発情装置としての制服にスタンプが押されたんじゃないか?制服で発情して良し、みたいな。。

それから約30年。

日本ではいつの頃からか欲情が「萌え」という言葉で言い表されるようになりました。制服産業に限らず、萌えコスプレ等のアイテムなどを入れていくと、他のアパレルもかなり、収益性が有るわけですね、「萌え」の導入によって。もはや、デザインや品質を売るよりは「セックスファンタジー」を売っているという事ですね。

で、制服をよく着用させられているのがアイドル。萌え、癒やしを供給するのがアイドル、ですね。

で、皆さん、何をそこに求めているんでしょう?清楚が求められる制服の裏に?そこには暗黙の了解がある。裸になることだけがポルノ化ではございませんね。アイドルだって立派にセックスファンタジーを売って居ます。それが悪いのか?いやいやこれが「資本主義の正義」であることは確かでしょう。

「なんてったってアイドル」なんですから!

そう、以前にも書きました。
コレも85年あたり。コイズミこと、キョンキョンが「アイドルという存在の相対化」をやらかした。それまでのアイドルの必須項目は清純さ、処女性、などですよね。つまり受け手はこの時点で、すでに「処女じゃない」とか「飲酒、喫煙」とか、現代に生きる普通の女の子としてのアイドルの「裏」を知っちゃったわけですが…

それでも「アイドルですが何か?」

というのがキョンキョンのスタンスだった、とすれば、そこに「ツッコミ」をかましたのが同時期に始まった「お笑い」ブーム、でしょう。このあたりを素晴らしくうまく解説してるのが、マキタスポーツさんの『全てのJ-POPはパクリである』という本。(少し前に読んでて、この記事も一月ほど前から書いては途中で放り投げたりしてましたが、ようやくまとめる機会ができましたw)

彼の前著である『一億総ツッコミ時代』の流れを汲んだこの本なんですが、J-POPの商品的構造が図解を通してすごく分かりやすく書かれてます。そして写真による解説もめっちゃ面白いです。マキタスポーツさんはJ-POPを素材としたお笑いの書き手としてJ-POPの構造を熟知してる感じがします。(特に、ビジュアル系のファンダム含めた構造解説はもう、素晴らしいww 読んで読んで〜)

よく、J-POPとK-POPを分けて考えられている方がいますが、私は最近はどちらかというとまとめて考えてます。大きく言えば英米ポップでも「文化産業」の一部として、まとめられると思うんですね。ただ、音楽にそれぞれのキャラクターはもちろんある、のですが、マキタスポーツさんのこの本からも、音楽が文化商品として流通する、そのしくみに置いて同様の視点から見る事ができる、と確認できた気がします。

で、思い切って端折ってしまいますと、「J-POPは全てノベルティーソング」である」というのが彼の主張なんですが。。。ノベルティーソングといえば、アメリカだとアル・ヤンコビックからリチャード・チーズなんかを思い浮かべます。それから古典的なコミックソングや、マカレナなんかもそうですけど、日本で言ったら嘉門達夫とか、ただ面白いだけではなく時代を表現、風刺したりする歌や曲、そんな感じですかね?

ノベルティー化の例として、たとえば、マグカップを「ノベルティー化」するとするなら、、、マグカップに他の商品やキャラクターを入れ込む、スポツチームの名入れをする、、、などが「ノベルティー化」と思いますが、結局本来の「マグカップ」という商品価値の他に別の価値付けを行う行為という風に私は理解しています。そう、例えばキティラーならマグカップの機能よりもキティちゃんの柄のほうが、問題なわけですwww(完全に自分はそうなってますw)

マキタスポーツさんの言われる「J-POPはノベルティーソング」というのも、ですから本来の歌という価値の他に何らかの「付加価値」がついた状態、その付加価値が勝ってる状態とワタクシは解釈しているわけです。

マキタさんが「パクリ」である、と断言するのも、パクった、パクってないという論争がそもそもアホらしい、ということらしい。なるほど、ですよ。だから、一億総ツッコミな観衆により「どうせJ-POPパクリでしょ?」と突っ込まれたとして、でも、そもそも「ノベルティー」なので、別のとこに価値があるわけですよね。。。

マキタスポーツさん、この本の中で、現在SNSを中心としてもはや大衆の日常と化したこの一億総ツッコミ的視線、そして往々にして他罰的でもあるこの目線を「メタ視点」と呼んで居るんですが、実はこんなふうに冷静に客観的に突っ込むその傍ら、今の日本に置いてはこれとは真逆の「我を忘れられるもの」「純粋無垢」、が売れるようになっている、と指摘してます。。。ノベルティー、付加価値、のベクトルが指し示すところに「時代」が、見えるっていうことでしょうね…

あああ、、、もうここで、皆さんもお気づきでしょう……???

何を書こうとしてるか、、、気づいた方はコメなりメッセなり送って下さい。でもとりあえず、ここで切ります。すぐに続きは書きますがwww

参照:マキタスポーツ『すべてのJ-POPはパクリである』扶桑社、槙田雄司『一億総ツッコミ時代』星海社新書