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夢のみとりz

見取り図を書いたり、看取ったり……黙って見とれ?はいはい。。。

今更ですが、やおいと脱構築。

いつも楽しく読んでいる岡田育さんと腐女子の皆さんの座談会が今回も面白かったので、ちょっと頭に浮かんだことを書き留めておこうと思っています。(備忘録w)

まずはこの記事。

cakes.mu

今回の座談会の出席者の皆さんと年齢が被ることもあり、色々頷きながら読んだのですが、たしかに近年のBLに対して私も「ヤッてるだけじゃん」と思わないでもない、そういう時期も有りました。2000年代前半くらいでしょうか?ご多分に漏れず、私も24年組の洗礼を受けた世代です。なので、そこは「商業BL」という括りに対しての見方にバイアスが掛かっていたのも事実じゃないかと思います。ラブの大量生産と消費って、ジュネ以前の少女漫画の「異性愛ラブ大バーゲン」のようにも見えたし、商業BLとほぼ同時期か少し前から台頭してきたレディコミともきわどさで言ったらかぶってましたし。ラブを見ても、エロを見てもどちらにも「ヘテロロマンチック」と「ヘテロセクシズム」がちらつく。。。

「ラブ」じゃなくて「ライフ」を見たい!

今思うとそんな感覚があったんじゃないかと思います。実際、ラブもセックスも、いい加減飽きるw。。。。

いや、ホモエロがキライと言うわけでは無いんです。むしろ逆なんだけど(笑)。確かにフジョシコンテンツはフィジカルな表現に於いてもメンタルな書き込みに於いても素晴らしい進化を遂げました。でも、そのうちに表現に手垢がついたり類型化、陳腐化も起こった。

振り返れば、古典的な「少年愛」から一足飛びにBLに突き進んだわけではなく、中間地点は存在した。現在のBLの属性原理主義!?の元になるような区分、「美青年/美丈夫耽美系」「洋楽系」「古典芸能/衆道系」「ヤンキー系」あたりが中間で生まれていたと思うんですね。で、いわゆる「やおい」はそのとっかかりに位置していたと思ってます。

「やおい」といえば、わたしとしては、波津彬子、坂田靖子、花郁悠紀子の同人【ラヴリ】、それと森川久美、東京女子大の【やっはるーっ】です。「やおい」を編集者(男)から作家(女)への罵倒の言葉としての「山なし、落ちなし、意味なし」から、ホモエロティックの隠語に置き換えたのが、彼女ら24年組より数才年下の作家たちでしょう。ホモソーシャルかつミソジニーであった漫画出版界の用語の【意味】をかくらんさせたわけです。

彼女たちのやおい作品に頻繁に登場していた19世紀末の英国紳士同志の戯れ等は、何故かイヴ・コソフスキー(セドウィック)が指摘したホモソーシャルをホモエロと読み変える事と酷似しています。なぜ被ったんでしょう?つながりはなさそうなのに…偶然?ヴィクトリア期英国という部分なのかなあ?(ちなみに日本ではなんでセジウィックって発音するのかな?彼女とは幼なじみという先生に去年教えてもらいましたが、セドウィックって発音してた気が…)確かに英国コメディのモンティ・パイソンにもよく取り上げられてましたね、そういうネタ、超ノンセンスで面白かった… ここは「やおい」を考える上で、実際本当に大事なポイントだと思うんですよね。

意味なんか有りませんけど、何か?

理由らしき理由も無く「男どうしの関係」が、ただ存在しちゃっている。蓋然性しか無い(笑)。。性は本来的に二元であって、異性愛以外は「異常」というのが当時の日本の一般大衆の認識だった頃。画期的なわけですよね。この無謀なまでの意味の無さが、のちの登場人物全員男色の「ホモホモ学園モノ」とか、人も獣も無機物も問わず受けと攻めにしちゃうとかの腐女子のやや突飛な性格に引き継がれているとすると面白いと思うんです。

Juneにももちろん非常に影響されました。で、竹宮恵子x栗本薫の塾が始まって「男どうしでなければならない必然性」とかいうものを考えてみたりしてましたが、はっきり言ってアレは疲れました。あとから考えたら、せっかく「意味」から逃げたのにまた「意味」じゃあ、元も子もありません(笑)。

June全盛期を経て、商業BLが生まれ、漫画にもメディアミックスの波が押し寄せ、エイベックス的ドライブがかかりだすと、桜沢エリカ、岡崎京子(のちには安野モヨコなど)などのカリスマ「女子マンガ家」が現れました…ヤンキー化と言ったら失礼なのかもしれないですが、私は非常にこのヤングフィール系の作家の方たちにも惹かれました。90年代は私にとって「ややリア充」【ヤリマン期】だったからかもしれないですしそれはつまりご多分に漏れず「女であることの病」と直結してもいた。自分探しや自己肯定感の罠にとっぷりと浸かっていたと言ってもいい。そんな中で読んだ彼女たちの作品にはホモフォビアは漂わず、そこかしこに「普通にホモの脇役」がヘテロの主人公たちと並列に特に「意味もなく」存在していました。意味は無くとも存在していい。「ホモライフ」って、この辺りである程度市民権得ちゃったんですよね、女性向け作品では。

で、なぜ大島弓子だったのかというところにちょっと戻ります。

70年代後期、漫画というメディア自体が文学として成立してしまったその時代の受け手としての「ブンガク少女」クラスタに自分はいました。この「自分」ですが、今思い返しても、大島弓子作品の登場人物がかぶるんですよ。ぶりっこしようというわけでも有りませんが、少女漫画はこの時期最大限に「ブンガク」してましたし。時代的にはレディコミがお目見えする前かな?私は他の24年組の作家群、特に萩尾望都などはもの凄く好きなわけですが、大島弓子は別の意味でおもしろかった。物語を楽しむと言うより目線。つまり大島弓子に見られている「自分=少女」という存在が主人公として浮き上がるからです。萩尾先生がこの時期指摘してたのは領域侵犯的に関わってくる「マニア」と呼ばれる読者の存在でしたが、大島弓子作品にはそこに通じかねないような(読者である)作者の視点が存在していた、という事でしょう。

彼女の作品中で、

「わたし、男になって男を愛したいなんて夢は捨てる」

という後世に残る【つまり共有が少女達の間で大きく行われた】名台詞が発話されてしまった。これ解釈にはかなり幅があるかと思うのですが、セリフ自体が広く共有された事は間違いないと思います。大島弓子という人は腐女子という語句が出来上がる以前、腐女子論などが展開される以前のとっくの昔からちゃんと「女達」の行動を見て腐女子も女子である以上はジェンダーに絡め取られた存在だということを見ていた。「女子」という90年代を経て完成するジェンダーを時を超えて客観視し、捕捉していたのではと思います。もちろん、この観察が当てはまらない、という腐女子の方も多いでしょう。男になるのではなく、女である自分の存在そのものを消したいであるとか、視線だけになりたいとか。その時点で彼女に現在の多様な腐女子の様態が予見できていたかはわからないのですが、少なくとも変えられない現実を抱えつつ、意識的に、もっと言うなら醒めながら「夢」を見ている少女の存在を彼女はちゃんと捉えていたと思います。

ところで、原始腐女子にとって「腐る」という精神作用、そして「や/お/い」と言う語の転用こそ【脱構築】そのものであったと言ってさしつかえないのでは、と今更ながらに思ってます。

古典的ヘテロセクシズム、恋愛消費マーケット(「なんクリ」とかねw 33年後のなんクリ、とっても良かった!)、結婚至上主義、核家族による生産の理想化。こういったものが【意味】であるとすれば、少なくともわたしが「少年愛」やら「ホモエロ」にハマったのはその【意味】を壊したいキモチがあったということ、ではないのか?男性編集者が編んだ「山もオチも意味もある」お仕着せの作品じゃなく、自分の欲しいものが欲しい。結局少女たちのそういった消費行動が、subversiveな場の創生、そしてフジョシ市場形成を促したって事にならないだろうか?

中学生の頃NHKのニュースを茶の間で見ていた父が、私に聞きました。「おいっお前も同性愛なんかに興味あるのか?」画面にはばばーーんと【風と木の詩】。。。父母にはわからないだろうと平気で茶の間で風木を読んだりしていたため、冷汗かく私w

オカマと当時は蔑まれていた属性。なよっとした雰囲気の男性や、風体、感情に流されやすく論理的でない、、、等などを「女の腐った奴」という言い方で表すのが【意味】であるとするなら、そもそも女である自分が「腐った」らどうなのか?【意味】は全く意味を成さない。。。。

その時そう答えられたわけでは勿論有りません(笑)。 が、近年つらつら考えるにつけ、どうしたってそこにあったのは意味の破壊、無力化、そして「脱構築」じゃ無いかと、そう思わざるをえない。

あ、やおい、BL、腐女子本はホンモノのゲイには無関係と最近までは盛んに言われていたようですが、私は実はその昔「おこげ」属性でもありまして、また現在は腐男子にも興味を持て余しています(笑)。もちろんLGBTコミュニティにも足を突っ込んでますが、アメリカ在住のせいなのか、流動性というのかFluidityは常々感じます。アセクシュアルがセクシュアリティーなら、腐女子もセクシュアリティーじゃないか?とか思ったりして(そういう論も有りますかね?)逆に「腐女子の縛り、お作法」などがしちやかましく言われると、引いちゃうことも多くなった。それがゼロ年代あたりだったかもしれません。最近になって、そのお作法を色々ぶち壊す勢いで、K-popアイドルによるいわゆる三次元萌えを体験したせいで、再構築されかかった【意味】を、ここへ来てまたまたこわしていくスリルをひしひしと味わって居ります。

ちなみに、こちらのブログも、大変参考になりました。

やおい その誕生と遍歴 | よろめ記