夢のみとりz

見取り図を書いたり、看取ったり……黙って見とれ?はいはい。。。

Oh!!オーガニック!AKB

紅白から、CDTVに自然に流れて、テレビ見ていて、やっと気づいたんです。遅すぎたかもしれないけど。AKB。

AKBはオーガニックアイドルなんだって。

それは少女時代のプラスティックの対極にあるもの。

実はAKBはほぼ同じ色調やデザインのユニフォームのような衣装を着せられてることから、集団アピールで個性がないようなイメージを持たれがちなんだけど、実はそのユニフォーム的なところにほんの少しずつ違いを入れているところがポイントなんだなと。それは、まさに普通の中学生、高校生が学校の制服をアレンジするコンセプト。同じものを着てるところから始まって、それに少しずつ自分の個性を加える。彼女たちが実生活で体験することとほぼ変わらない。

少し前の秋元氏のインタビュー記事で読んだが、彼はスターを目指す彼女たちの目線に立ちながら、作詞のコンセプト作りを行なっているのだとか。だから、それが例えば「River!」で、"河をわたれ、振り返るな"という歌詞に反映し、年若い彼女たちがそこに思いをぶつけられ、同世代オーディエンスにとっても感情移入ができる要素になる。観客は彼女らが成長する過程を一緒に体験するといえば大げさだろうか?これが、AKBのAKBたるところなのだ。卒業した後の活躍の場はいろいろだが、それまでの過程をファンが「応援」という形によってともに体験する。ただの隣のアイドルだけではない有機的(オーガニック)なつながりをファンとの間で持てるシステム。AKBは生成過程そのものが「アイドル」であり、少女たちが、その「個」を確立していく物語でもある。素晴らしい。そして今度はインド進出なのか?台北48も始動するらしいし。


かたや、少女時代はSMエンターテインメントから、与えられたイメージとしての個性をグループのなかで演じわけるのがコンセプト。だからそもそも同じユニフォームを着ているというイメージは無い。彼女たちの衣装はぱっと見、AKBよりもずっと個性的。そうでありながらも、どこかテイストが揃った衣装が少女時代に限らず、SM型アイドルの定番といえる。そして完成されたパフォーマンスを観客に「供与」する。ひとりひとりの資質、才能、激しいトレーニングによって得られるパフォーマンスの完成度は比類がない。ただ、この子達をみていると、アメリカの美人コンテストのコンテスタント達をみているようなのだ。

女の子として完成された容姿と知性。プラス芸能人としての才能。尊敬する人が、「国連のバン事務総長」という受け答えを聞いて、彼女たちがいかに米国式美人コンテストの出場者に近いかを感じた。これは完全なプラスティックの美学。ただし、そんな、彼女ら、彼らが作り出す生身のステージパフォーマンスが他を圧倒しているからこそ、ものすごい陶酔にファンをおとしいれる、というのがSM社の醍醐味でもあるのだから、事は一筋縄ではいかない。

これからのSMはSNSなどを使って有機的な部分を取り入れて行くつもりのようだが、どんな展開になるのか?まあ、お手並み拝見といったところだ。

SMが「完成」を売るのに対し、AKBは「未完成」(というか生成過程)を売る。これは、今「JYJ」と「東方神起」が対峙している場面でももちろんある。最近、ブログを通してお友達になったさるブロガーさん(そうです、貴方ですよ〜。お名前、こんど言ってもいい?)が、JYJにAKB方式はどうかと提案されていたことから、考えてみた。これから、JYJがAKB方式を推進していくにしろ何にしろ、既にJYJはSMPから離脱し「未完成」という現実の状況がある。完全なAKB方式とまではいかないにしろ、ここからやはり、オーガニックなアーティストとして進んで行く道が見える気がする。

*思えば東方神起は韓国ではもうすでにアイドルとして完成された形で日本に来たわけだが、日本ではJ-POP歌手として下積みからしなければならなかったという「生成過程」を日本のファンが同時体験あるいは追体験したこと(結局これがバーチャル家族神起として世界中にYouTubeを通じて配信されてしまった訳だが...)が、日本での人気につながった。その意味で、K-POP軍団が大挙していっとき市場を席巻したとしても、彼らを超えることがなかなか出来ないのではないか。彼らの出演した日本のテレビ番組や、ラジオ番組の面白さは今見てもやはり秀逸で、そんな彼らはプラスティックにはない魅力に満ちていたのだと思う。

2012年。もしかして地球が終わるかもしれないとの予言?なんかもあるけど、書きたいことが色々見つかって幸せな気分。みなさん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。(ってこっちはまだ2011年だよ〜。今晩はパーティー出撃だぜ!)